びおの七十二候

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雉始雊・きじはじめてなく

雉始雊

雄の(きじ)が鳴き始める時節となりました。雄(オス)が、雌(メス)を呼んで「ケーン、ケーン」と鋭く啼くそうで、甲高い呼び声が鋭く寒天に響きます。

山里や屋根へ来て啼く雉子の声  小林一茶

しかし、街場にいる人は、まずそんな雉の鳴き声を耳にすることはありません。というより、鳴いていても、それが雉の鳴き声だと判別がつきません。野鳥の鳴き声を聞き分けられると、少しだけ鳥に近づいたといわれますので、これから春に掛けて鳴き声に耳を澄ましましょう。

さて、冬に馴染みの風景といえば、郊外に出ると見かける大根畑でしょうか。冬の朝、白い息を吐きながら散歩していて、こころ和むのは大根畑の緑です。
大根は、地中海地方や中東が原産で、古代エジプトから食用されています。ピラミッドの建設の時にハツカダイコンを労働者に食べさせたことが碑文に記されていて、正月のテレビ番組でも放送されていました。
日本には弥生時代に伝わりました。しかし、ヨーロッパの代表的なハツカダイコン(ラディシュ)と、日本のダイコン(英名 Japanese radish)は、別種のものです。
大根は調理法が豊富で、ふろふきなどの煮食・汁の実・なべ・おでん・なます・切干し・漬物(沢庵漬け・べったら漬け)、刺身のつま等、日本人の食生活に欠かすことのできない野菜となっています。
成分上の特徴としては,根部に消化酵素アミラーゼ(ジアスターゼ)とビタミンCを多量に含有しています。また、葉部にはカロチンが豊富です。このアミラーゼとビタミンCは熱に弱いので、ダイコンおろしなどにして生食で食べます。
大根の煮込み料理でタコやイカが用いられるのは、大根に含まれる酵素が、これらを軟らかくする効果があるからです。
日本の大根の主な品種は、胴回りが巨大な桜島大根、京野菜で球形の聖護院大根、汁気が少なく辛味が強い辛味大根(蕎麦などの薬味になります。福島や山形の「あざきだいこん」が有名)、細長く守口漬に使う守口大根、短く太い、甘味が強く煮崩れしにくい加賀野菜の源助大根、白首大根の練馬・三浦・浅尾大根、青首大根の宮重大根、長崎原産の大根の紅大根などがあります。また、葉の部分はスズシロ(清白)と呼ばれ、春の七草のひとつです。葉の部分の栄養価は高く、炒め物にして食べると栄養の吸収が良いといわれます。また、カブの葉同様、刻んで飯に炊き込むと菜飯になります。煮てよし、漬けてよし、生でよしの大根を日本人は好み、日本は世界で一番の消費量を誇っています。
へたな役者を〈大根役者〉といいますが、これはダイコンによる食中毒の例を見ないことから、〈あたったためしがない〉にかけたものです。

今候の句は、この大根を詠んだ、瀧井孝作(1894年〜1984年)の句です。

わが仕事はかどる窓の大根畑

瀧井孝作には『自選 孝作百五十句』(筑摩版『現代日本文学大系』48巻所収)がありますが、この句は入っていません。瀧井孝作を代表する句とはいえないでしょうが、わたしは、この句に作者の気分がよく出ており、また変哲もない風景である大根畑、いわば日常の光景を、実にうまく拾い上げた句だと思って、ご紹介することにしました。こういう句だったら、何だか自分でも詠めそうでしょ。

瀧井孝作は、飛騨高山の人です。
父親は名人といわれた指物師でした。その息子である瀧井孝作の俳句も小説も、燻し銀のような渋さで知られていて、ストイックなまでに職人的な作家とされます。何か鬱々としたものを感じたとき、瀧井の小説に目を落とすと、中勘助や、井伏鱒二の小説と同じように、いつの間にか独自の世界に引き込まれて、平常心を取り戻すことができます。
瀧井は、俳句を河東碧梧桐に、小説を志賀直哉に兄事しました。

この句の舞台は、千葉県の我孫子とみられます。我孫子は、手賀沼沿いを中心として稲作、野菜の生産が盛んな地域です。
我孫子は、大正時代から昭和初期にかけて、志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなど多くの著名な文化人が居を構えました。瀧井は、志賀直哉に誘われて我孫子へと移りました。志賀からは、家族のように遇され、毎日のように夕食に招かれました。志賀も、この我孫子での生活を心から楽しんだようで、志賀を代表する『暗夜行路』や、『城崎にて』などをここで書きました。
志賀の『雪の日』や『雪の遠足』(『志賀直哉全集』第3巻所収 岩波書店)という短文に、これら芸術家の我孫子での生活がよく活写されています。

「今日はリーチが来る筈だと柳が云ふ」
「書斎から細い急な坂をおりて、田圃路に出る。沼の方は一帯に薄墨ではいたやうになつて、何時も見えて居る対岸が全く見えない。沼べりの枯葦が穂に雪を頂いて、其薄墨の背景からクッキリと浮き出してくる。其葦の間に、雪の積もった細長い沼船が乗捨ててある。本統に絵のやうだ。東洋の勝れた墨絵が実に此印象を確に摑み、それを強い効果で現して居る事を今更に感嘆した。所謂印象だけではなく、それから起って来る吾々の精神の勇躍まで摑んでゐる点に驚く。そして自分は目前の此景色に対し、彼等の表現外に出て見る事はどうしても出来ない気がした」(『雪の日』)

ここに描かれている沼とは手賀沼です。柳とはあの柳宗悦であり、リーチとはあのバーナード・リーチです。この文章は、『志賀直哉全集』の小説編として載せられていて、つくづく志賀直哉は私小説の人なのだと思いました。志賀に特徴的な、不快であるかないかという感覚、それで生きていけたらいいだろうな、と思います。志賀は、衒(てら)いもなく自分のことを書ける人でした。長谷川二葉亭、北村透谷、国木田独歩などが追い求め、夏目漱石において確立をみた近代的自我を、白樺派の面々は、まるで生来のものであるかのように縦横に発露しました。
瀧井は、この「白樺派のコロニー」ともいうべき我孫子にあって、代表作となる『無限抱擁』を書きます。この小説の中にも我孫子のことが出てきて、「それは私の好きな土地です」と主人公に言わせています。この小説も、いわゆる私小説なので、フィクションではなく、それは瀧井本人の思いでした。
瀧井の離れの書斎の前から、崖下の雑木林の梢ごしに、手賀沼の景色が見えました。瀧井にとって大好きな土地で、兄事する志賀直哉が近くに住んでいて、大いに仕事がはかどったのでしょう。窓からみえる大根畑の葉の緑が、瀧井の心を反射して、美しく見えたのだと思います。それは瀧井にとって、生涯最良の日々だったようです。
『無限抱擁』の最後の章に、亡妻の遺骨を拝みに寺に参りに行ったときの一節があります。

寺では夜分にも拘らず、本堂に、幾本かの蝋燭(ろうそく)を点して、私共が預けてをる遺骨の包みを真中に置いて呉れました。私は焼香をして其前に少時坐って眺めて居りました。不思議に花やかな場所に、彼女が居るのでありました

山本健吉は「これは『無限抱擁』の中の最も美しい一節であろう」といい、この小説は、志賀直哉の『暗夜行路』と共に、現代日本が生んだ最も純粋な恋愛小説だといい、「ここにある強靭で、素朴で、真実で、無垢なひたむきの情熱は稀有のもの」だといいます。川端康成も、この小説を「書かれると同時に、永久に新しい古典となり得る作品」だと絶賛しました。
そういう小説を生んだ書斎の窓からの、大根なのです。

瀧井のほかの句を紹介しておきます。どれもこれも渋いですねぇ。

寒の日がさす松の葉のみだれかな
牡蠣船の煙這ふ水や流れをる
山町に春雨流れうねる道
曇り日の枯草の穂先誰か来る
けふも歩けば日が照る不忍の鴨が鳴く
しまふ扇風機の淋しくある一日
祖父の雪掻き雪汁垂るる
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2009年01月15日の過去記事より再掲載)

キジトラ猫