色、いろいろの七十二候

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温風至・太陽

太陽
こよみの色

二十四節気

しょうしょ

小暑
空色そらいろ #A0D8EF

淡い明るい青色。空の色に規定はないため、この色は、明るい青を総称する名前。

七十二候

あつかぜいたる

温風至
浅縹色はしたいろ#84B9CB

やわらかい青色のことで、藍染により浅く染めた縹色(はなだいろ)。位色としては低く、縹色の最も薄い色。『薄縹(うすはなだ)』とも呼ばれることもありますが、『浅葱色(あさぎいろ)』という色名が一般に使用されています。

日盛り、炎天、油照りなど、太陽にちなむ夏の季語は、どの語も過酷です。
盛夏の日盛りは、正午から二時、三時まで。灼熱の太陽が照りつけ、暑さが極まった状態をいいます。

日盛や障子に煮る蝉の声
  涼莵

「障子に煮る」とは、何ともすさまじいけれど、冷房のない時代、夏はそういう光景のものでした。この句を詠んだ涼莵は、りょうとと読みます。本名は岩田正致。通称は又二郎。本職は伊勢山の神職。俳諧は芭蕉門下。

涼しさのまことは杉の梢なり

という句もあります。

日盛りに蝶の触れ合う音すなり
  松瀬青々

二匹の蝶がひらひらともつれ合いながら飛び交っていて、青々には、その羽が擦れ合う音が聴こえるというのです。何もかもが灼けて、音を立てている昼の刻の感じがありありとしています。
松瀬 青々まつせ せいせいは、明治の人で大阪生、名は弥三郎。上京して正岡子規に師事し、「ホトトギス」編集に従事し、のち大阪朝日新聞社に入社、朝日俳壇の選者を引き受け、これが今も続いている朝日俳壇の始まりです。

この国に恋の茂兵衛やほととぎす
鞦韆にこぼれて見ゆる胸乳かな

鞦韆しゅうせんとは、ブランコのことです。
炎天も、人にも、虫にもきついことです。

炎天や蟻這ひ上る人の足
  子規
炎天や切れても動く蜥蜴の尾
  龍之介
蛇が殺されて居る炎天をまたいで通る
  放哉

油照りは、風が動かず、太陽がじりじりと照りつけて、じっとしていても汗のにじみ出るような状態をいいます。

ながながと骨が臥ている油照
  日野草城

これらの句を詠んでいると、暑さのやりきれなさが募ります。

冬の太陽に因む季語に、話題を移します。
秋晴れ、冬晴れ、あるいは寒晴れは季語にありますが、春晴れ、夏晴れはありません。何故なのかを考えながら、幾つかの冬晴れの句を詠みました。

冬晴れや水上たかく又遠く
  普羅
筑波見ゆ冬晴の大いなる空に
  楚人冠
冬晴れや朝かと思ふ昼寝ざめ
  草城

前田普羅の句は、大気が冴えわり、からっとしていて、湿り気がありません。乾燥度(からび)が、秋晴れや冬晴れの空気感です。
遠方まで見通せる冬晴れをだから、楚人冠の筑波山の句は成り立つのです。春や夏の太陽は、どうしたって湿気が伴ってしまいます。
日野草城の句は、病床で詠まれた句で、寝覚めて、ハッと朝かと思ってしまったというのですが、乾燥度のなかに哀しいものがあります。
冬晴れの句では、わたしは飯田龍太のこの句が好きです。

冬晴れのとある駅より印度人

町の工務店ネットの「びおハウス」のパンフレットに、つい載せてしまいました。

今回は、たかだみつみさんに太陽エネルギー利用を進める、町の工務店ネットの取り組みを考えて、太陽を描いて下さいました。
太陽エネルギーは、原発に対する代替エネルギーとして注目されています。かつてオイルショックのときには、石油に対する代替エネルギーと言われたものです。石油も石炭も、太陽の子のような存在です。原発がどんなにたくさんできても、太陽が地球を暖めるようなことは出来ません。
もう30年も前に書かれた『人間生活とエネルギー』(岩波新書)という本の中で、押田勇雄さんはこう述べています。

「地球の表面の平均温度は、約15度で、猛暑・酷寒の場所や季節もあるとはいえ、およそ天体の中でこれほど良い環境の星があるだろうか。太陽の明るさ(照度)は、昼夜、晴雲を平均してもなお約2万ルクスもあって、昼間の快適な明るさを確保し、すべての植物はこれによって育つ。いかに多くの電灯を並べても、とうてい太陽の代わりはつとまらない」

どちらが代替エネルギーなのか火を見るよりも明らかですね。

文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2012年07月07日の過去記事より再掲載)