色、いろいろの七十二候

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寒蝉鳴・花火大会

花火大会
こよみの色

二十四節気

りっしゅう

立秋
露草色つゆくさいろ #38A1DB

露草の花のような青色のこと。万葉人は、露草の花を擦った汁を、衣を染める他、染色の下絵を描く際に用いた。

七十二候

ひぐらしなく

寒蝉鳴
浅葱色あさぎいろ#00A3AF

あざやかな緑みの青。青色よりも緑に近い、薄い藍色のこと。新選組が羽織等で使用した色。

浅葱色は江戸時代に流行り多くの派生色が生まれた。水色がからせた『水浅葱(みずあさぎ)』、くすんだ『錆浅葱(さびあさぎ)』、花色がからせ鮮やかな『花浅葱(はなあさぎ)』など。

今は立秋、秋ということですが、そんな実感のない日が続きます。

夏に花火大会が行われるようになったのは、隅田川に端を発するといわれています。享保17(1732)年、前年の大飢饉とコレラの流行によって多くの人が亡くなりました。時の将軍徳川吉宗が、この鎮魂のため大川(隅田川)で水神祭を行い、翌18年の川開きの際に花火を揚げました。

このときの花火師が、「たまや、かぎや」の掛け声で知られる鍵屋六代目篠原弥兵衛でした。鍵屋はこの後、昭和まで世襲を続けた後、現在も花火の打ち上げを続けています。一方の玉屋は、もともと鍵屋の暖簾分けで始まった花火屋でしたが、失火によって江戸を追放されてしまいましたが、いまでも掛け声に名が残っています。

娯楽が多様化して、皆が同じ物を楽しむ機会が少なくなった今、数十万人、ときに100万人を超える人がそろって同じ空を見上げる娯楽など、他にありません。

イラストは「はじめての花火大会」。

はじめて花火をみたときのこと、おぼえているでしょうか。
小さな子にとっては、大勢の人出と、大きな音、そして火を使う花火は、もしかすると畏怖の対象にさえなるのかもしれません。

でも、いつのまにか花火は楽しいものになっていました。
子どもの時のことを思い出してみると、花火がいかに楽しいものだったか。家庭で出来る玩具花火は、夏の楽しみの一つでした。普段は使うことのない火を使い、花火に着火する、あの緊張感。翌朝に見る、水の入ったバケツに残る花火の残骸の無常感。

火遊びはいけない、と大人はいうけれど、火遊びによっていろんなことを身につけた、ような気がします。

規制されていく花火

花火大会のような大規模なものは、都道府県の許可を得て、当日も消防の検査など、いろいろな規制にしばられています。大量の火薬を使うことから、万全を期す必要があるのは当然です。
個人で出来る玩具花火の場合は、ここまでの規制はありませんが、自治体によっては、条例で花火の時間を規制したり、場所を制限したりというところもあります。

これは何も昨今だけの話ではなく、花火が普及しだした江戸時代にも、花火をする場所、製造する場所などを制限するお触れが度々出されています。度々出るということは、江戸っ子は、そんなお触れをものともせずに、花火を楽しんでいたということでしょうか。

アメリカでは、一部の州で個人の花火が全面的に禁止されています。中国では、春節を祝う花火が禁止されていたこともありました。

火遊びは、禁止されると楽しくなってしまうのですが…。

国内の花火大会も、順風満帆というわけではありません。スポンサーがつかなくなって、中止、終了を迎える花火大会もあるのです。景気が回復基調にあるといわれるなか、果たして花火大会の運命は…。というのは大げさかもしれませんが。

暗く暑く大群衆と花火待つ
  西東三鬼

花火大会ならではの、この空気感。子どもたちに残してあげたい日本の夏の風景です。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2013年08月07日の過去記事より再掲載)