色、いろいろの七十二候

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涼風至・涼風

涼風
こよみの色

二十四節気

りっしゅう

立秋
露草色つゆくさいろ #38A1DB

露草の花のような青色のこと。万葉人は、露草の花を擦った汁を、衣を染める他、染色の下絵を描く際に用いた。

七十二候

すずかぜいたる

涼風至
薄浅葱色うすあさぎいろ#69C2C7

『浅葱色(あさぎいろ)』を薄くしたような淡い青緑色のこと。『淡浅葱』とも。もとは若いねぎにちなんだ色だが実物の葱より青みが強く淡い色。

浅葱色は江戸時代に流行り多くの派生色が生まれた。水色がからせた『水浅葱(みずあさぎ)』、くすんだ『錆浅葱(さびあさぎ)』、花色がからせ鮮やかな『花浅葱(はなあさぎ)』など。

寺田寅彦は、随筆『涼味数題』の冒頭に、「涼しさは瞬間の感覚である」と言います。
寅彦は、「涼しさ」は日本の特産物ではないかという気がするとも言い、中国大陸にも「涼」の字はあるけど、日本の「すずしさ」とは違うと言う。
「シンガポールやコロンボでは涼しさらしいものには一度も出会わなかった。ダージリンは知らないがヒマラヤはただ寒いだけであろう。暑さのない所には涼しさはないから、ドイツやイギリスなどでも涼しさにはついぞお目にかからなかった。ナイアガラ見物の際に雨合羽を着せられて滝壺におりたときは、暑い日であったがふるえ上がるほど「つめたかった」だけで涼しいとはいわれなかった。少なくも日本の俳句や歌に現われた「涼しさ」はやはり日本の特産物で、そうして日本人だけの感じうる特殊な微妙な感覚ではないかという気がする」
と言うのです。
続いて寅彦は、俳句の季題の「おぼろ」「花の雨」「薫風」「初あらし」「秋雨」「村しぐれ」などについて、「外国語に翻訳できるにはできても、これらのものの純日本的感覚は到底翻訳できるはずのものではない。日本固有の涼しさを十七字に結晶させたものである」と言います。
「涼しさ」について詠まれた句はいろいろありますが、わたしはこんな思い浮かびました。

涼しさや鐘をはなるゝ鐘の声
  与謝蕪村
口紅のいさゝか濃きも涼しけれ
  久保田万太郎
飛騨涼し北指して川流れをり
  大野林火
ふき通す涼しき風や腹の中
  夏目漱石

どの句も、日本人なら分かる「涼しさ」の世界です。寅彦が言うように、日本の「特産品」であって、外国人には、理解不能かも知れません。

このあたり目に見ゆるものはみなすゞし
  芭蕉

この芭蕉の句になると、外国人にとっては、もう想像を絶する世界というべきでしょう。涼しいは微妙であり、微妙は、確かに「瞬間の感覚」です。寒いは物理的であり、そこには「瞬間の感覚」はなく、寒いはただ寒いだけです。氷点下20℃の、冬のイエテボリ(スウェーデン)に行ったことがありますが、後頭部が痛くなり、まつ毛が凍り、この場合は寒いと言うより、痛いという感覚でした。「瞬間の感覚」ではなく、「疼痛」と言うことばがあてはまります。

夏の涼に風鈴があります。
寅彦は『涼味数題』の中で、「風鈴の音の涼しさも、一つには風鈴が風に従って鳴る自由さから来る。あれが器械仕掛けでメトロノームのようにきちょうめんに鳴るのではちっとも涼しくはないであろう」と言っています。耳から涼しさを感じる感覚は、やはり日本人独得のものだと思います。

文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2011年08月08日の過去記事より再掲載)