色、いろいろの七十二候

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蟄虫坏戸・食欲の秋

綿
こよみの色

二十四節気

しゅうぶん

秋分
真朱色まそお/しんしゅ #EC6D71

七十二候

むしかくれてとをふさぐ

蟄虫坏戸
茜色あかねいろ #B7282E

今年も秋刀魚の不漁が伝えられています。

2008年に秋刀魚を取り上げたときには、一尾40円で売られている、という記載がありました。

このときに、七輪とガスで焼いた秋刀魚の食べ比べをしたところ、明らかに炭火で焼いたほうが美味しい、という結論になりました。

現代の住宅では、炭火を室内で使うことは想定されていません。高気密化が進み、炭火による一酸化炭素中毒の危険が大きいこともありますし、煙、臭いの問題もあります。

何より、炭火は熾すのに時間がかかりますし、消火もガスのように簡単・安心ではありません。

かつて炭火が普通に使われていた頃は、住宅の気密は低く、台所が居住空間とは隔離されていて、いつも家に火の番が出来る人がいました。炭火は調理に使われるだけでなく、照明や暖房でもありました。

照明も暖房も、そして調理からも火が消えつつある時代になって、家庭では、炭火は必需品ではなく、レジャー用品として生き残っています(炭は台所用品売り場では売られていませんからね)。

100年ほど前の住宅を見ると、台所はたいてい北側にあって、土間や勝手口などが備えられています。調理するところと食べるところは明確にわけられていました。当時は女中部屋が台所のそばにあることも多く、作る人と食べる人、という区別もありました。

台所は北側に、という時代は結構長く続いて(いまでもありますが)、近年の住宅でも、寒くて暗いキッチンをなんとかしたい、というのがリフォームや建て替えの要求の一つになっています。

100年の間に、台所の概念はさっぱり変わりました。設備も大きく変化しました。

現代は、単身世帯が増え、家庭でも中食化が進んでいます。ほとんど料理に使われないキッチンもある一方で、100年前は皆無といってよかったであろう男子ごはんだとか、そんな変化も起きています。

建築家の松澤穣さんは、書籍「リンゴのような家」で、キッチンを「火と水を使い、刃物を使って切り刻み、料理という作品に仕上げる場所。展示を兼ねた工房」と定義しています。

家事はルーティンワークという側面もあり、限られた時間の中でそれをこなす辛さもありますが、だからこそ、素敵な作品を仕上げる工房、という夢を見ようではないか、と。

家の居心地、というとリビングのソファーでくつろいでテレビを見る、という状態を想像するかもしれませんが、能動的に家事を行う「居心地」は、キッチンに問われる機能です。

せっかくの、そんな時代に暮らしているのですから、大いに秋の味覚を、調理から楽しみたいものです。
たまには、外で炭火もね。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2014年09月23日の過去記事より再掲載)