おひさまと二十四節気

Vol.16  秋分・彼岸花

彼岸花

お彼岸ですね。彼岸花が本当にお彼岸の頃に咲くことに、毎年感心しています。
(画・祖父江ヒロコ)

『秋分』の頃に聞かれる言葉といえば、やはり「暑さ寒さも彼岸まで」。長い年月、私たちの暮らしの中に消えることなく言い伝えられてきたこの慣用句は、「まだまだ暑~い」から「お彼岸を過ぎると、やっぱり!」と、誰にとっても納得の一言になります。これから巡り来たる本格的な秋。春とともに、なんとも気持ちのよいこの「中間期(・・・)」を、芸術に、読書に、食欲にと、紅葉を愛でながら、思いきり愉しみたいですね。

さて、「彼岸花」というと、ふたつのことから、愛知県の半田が思い出されます。ひとつは、この時期、矢勝(やかち)川の堤に300万本もの彼岸花が一斉に咲き誇り、真っ赤な絨毯が延々と伸び広げられること。そしてもうひとつは、燃え滾る太陽と生命の血潮にも例えられる、まさにこの赤色のごとく、一貫した強き志を胸に、29年という短い生涯を駆け抜けた童話作家の記念館が、この近くにあることです。

新美南吉記念館」── なだらかな曲線を描く緑の芝生の中をもぐっていくように進むと、半地下のそこに入口が現れるこの建物は、相反するコンクリートという素材も、それと同期するようにやわらかな弧を青空に描きながら、来訪者の身体も心も、大らかに包み込んでくれます。

1913(大正2)年に半田町岩滑(やなべ)で生まれた南吉は、14歳から童謡や童話を作り始め、東京外国語学校に入学した19歳の時、児童雑誌『赤い鳥』に、氏の代表作となる『ごん狐』が掲載されます。代用教員や畜禽研究所での配合飼料の研究、その後高等女学校で国語と農業を担当し教鞭をとる中、病気と孤独に苛まれながらも、小説や詩も含めた旺盛な創作活動に取り組んだ南吉は、29歳で童話集『おじいさんのランプ』を出版。が、ついに病床の身となり、続いて予定されていた2冊の童話集の発刊を待たずして、1943(昭和18)年3月、その一生を終えました。

『ごんぎつね』の物語は、1980年から、小学校4年生の国語の教科書すべてに、その掲載が続いています。