国宝も手がけた畳屋さんに、手床の話を聞いてきた

国宝も手がけた畳屋さんに、手床の話を聞いてきた

今、新築住宅で導入される畳床の多くは建材畳。「スタイロ畳」と呼んだ方が通りがいいかもしれません。発泡ポリスチレンフォームを畳床に使ったものです。
軽くて断熱性もあって値段も安いということで、大きなシェアを持っています。

現在、最も普及しているのが建材畳。

もともと、畳床は藁床でした。ところが、この藁の流通が減っています。
昔は、藁が様々なことに利用されていたので、稲の収穫の際に藁も生産されていました。しかし近年では、藁の使途が減ったため、コンバインで細かく裁断して飼料にしたり、廃棄してしまったりということが増えて、良質な藁が手に入りにくいのです。

建材畳の登場と相まって、藁床は激減しています。

そんな中、畳職人であり、畳を愛する畳コレクターでもある長谷川俊介さんに、畳のお話を聞く機会がありました。
長谷川さんは、静岡市の「長谷川畳店」の三代目、この道32年のベテランです。

一見すると、町の畳屋さん、という風ですが、実はこれまでに「国宝・久能山東照宮 石の間」や、「重要文化財・松城家住宅」の畳替えを手がけています。

長谷川さんは、実家のお父さんも畳職人でしたが、最初はお父さんではなく別の親方に弟子入りします。
その親方は、職人には技術が必要だといって、あまり機械を使わせてくれなかったそうです。

そういう境遇で技術を身につけてきたので、彼の中には手仕事への誇りがあります。
畳屋さんなら、畳のことなら何でも知っていると、思いがち、、、

大正時代から機械化が進んでいて、現在では手床(手縫いの畳床)の技術はもとより、知識を持たない職人が多いです。
長谷川さんは、そうしたことに強い問題意識を持ち、文化財畳保存会で学びました。

そうした活動を通じて、国宝の「久能山東照宮・石の間」の畳の張り替えの仕事を手がけることになったのです。
東照宮の畳は全て手床です。そこへの道は1000段以上ある階段かロープウェーなので、畳を作業場に持ち帰ることなく、現場で作業をしたそうです。

国宝・久能山東照宮で畳の張り替え作業をする長谷川さん(右)

この東照宮では、江戸時代の手床が今も使われています。

けれど、中には手床をやめて現代の畳に入れ替えてしまうケースもあります。そういう現場が出ると、仲間が長谷川さんに「手床が出たぞ」と教えてくれます。
そういう現場から出た手床をいくつも集め、作業場にストックしています。ストックというより、コレクションといった方がいいでしょうか。
研究用、ということもありますが、廃棄してしまったら二度と手に入らない、という思いで、手床の畳を集めています。

昔の畳がどうやって縫われていたかを、実物で研究しています。

以下、全て長谷川さんが集めてきた古い手床です。裏の針目から
グレードの違い(職人の手間=製作時間)が分かります。当時の職人の心意気や息づかいが感じられると言います。

手床の畳に座らせてもらうと、普段接している畳とは全く違う、ふんわりとした感触です。これが本来の畳なのか!
現在の畳は、藁床であっても機械で圧縮してしまうため、どうしても硬くなりがちです。建材畳ならなおのこと。

手床を作るには、薦(こも)を重ねて縫い上げます。相当に時間がかかる作業なので全てではありませんが、その様子を見せてもらいました。

手床を作るには、厚みも違う薦を互い違いに重ねて縫い上げます。

畳床を手縫いで仕上げ、その後、縫った糸を引っ張りながら、足で締め上げる作業は相当な時間と労力がかかることで、文化財以外では手床の出番がないのが現実です。
そんな中で、長谷川さんは「技術が途切れちゃうと誰もできなくなっちゃうからね」と手床の技術を磨いています。
手床の技術は、普段の畳屋としての仕事に活きる場面は少ないのかもしれません。
けれど、本物を知っている、ということは、畳に限らず、とても大切なことです。
こうした職人に支えられて、文化財が守られ、家もできているのだと再認識しました。

坂本龍馬が生きていた頃の時代から一度も表替えをしていないという畳も見せてもらいました。

江戸末期から表替えを一度もしていないという畳。これも国宝級? ありえない畳! 一番のお宝だそうです。

畳表になるイグサも色々な種類を自分で育ててもいます。

とにかく畳が好きで、畳にまつわる色々なことへの探究心は尽きるところが無いようです。
長谷川さんは、将来、畳の博物館のようなものを作れたら、と語っています。現代の畳しか知らない人たちに、本当の畳に触れる機会を作りたいのだ、と。
楽しみにその日を待ちましょう。

長谷川畳店
https://hasegawatatami.mystrikingly.com/