パリ郊外の社会住宅 L’îlot 8 (3) −L’îlot 8の現状

ところかわれば

森弘子

2回にわたってお伝えしたパリ郊外にあるSaint-Denis/サン=ドニの社会住宅L’îlot 8について、今回はL’îlot 8の現状についてお伝えします。

今回このL’îlot 8についてリサーチするきっかけとなったのは、大学院の授業『Recherche action et intervention sociale(アクション・リサーチと社会的介入)』でのグループリサーチです。授業の最後にはリサーチのまとめとしてfanzine(ファンジン/同人誌)を制作しました。
そのfanzineの中で、私はサン=ドニと社会住宅の歴史、そしてL’îlot 8の建築と建築家についてテキストをまとめることになりました(それらは「ところかわれば」でパリ郊外の社会住宅 L’îlot 8 (1)(2)としてお伝えしています)。建築家レネー・ゲイルウステの著作や作品集、そしてリサーチした社会住宅の歴史を深く理解していくうちに、建築家が社会住宅と生活の理想を追い求めたこのL’îlot 8で、現在は人々が実際にどのように暮らしているか気になりました。

そこで、授業の担当教員の一人に、L’îlot 8に実際に住む夫婦を紹介してもらい、家を実測し、生活の様子を図面に起こすことができました。夫婦のうちアパートを案内してくれたのはご婦人のダリラさん。実測の前にインタビューを行いましたが、自身の仕事の関係もあり、社会住宅に関して非常に造詣が深く、本に書いてある歴史よりもよりリアルなものでした。彼女はイデオロギーとしては共産主義的で、その視点を通してL’îlot 8の歴史を語ってくれました。

夫妻は、1998年頭に最上階のアパートに入居、賃貸ですが、入居後に段階的にリノベーションをしており、ヨットの好きなブルターニュ出身のご主人が、アパート内の多くの家具を自ら作りました。鋭角な角など使いにくく思える箇所も、ヨットの狭い限られた空間をうまく使う技術で家具を作り、船の中にいるような心地よい場をアパート内に複数しつらえています。ダリラさんがこのアパートで最も気に入っているところは、光溢れる住居であること。3つあるテラスのうち2つは季節の良い時期には第2のダイニングルーム、リビングルームとなり、都市にいながら自然を感じることができます。これは建築家が設計当初に考えていた住宅のイメージ、そのものです。

L’îlot 8の夫妻のアパートの図面

夫妻のアパートは最上階にあるメゾネット 左がエントランスの4階(日本でいう5階)で、内部の直線階段で上階に上がる 複雑な形状かつ鋭角な部分もご主人のヨットの内装細工の技術でうまく空間を使っている小さなバーやジャズの好きなご主人がくつろぐ音楽スペース、ゲストルームもある


一方で、アパートには問題も抱えています。建設開始時にスーパーチェーン店舗に面する側の建設が優先されてしまい、残る部分の建設費が不足してしまい、多くの住居に欠陥が残ってしまいました。また、2階部分にあるペデストリアンデッキや地上への吹き抜けを介した落下物(鉢植えなど)の問題、近年機械換気設備が機能していないことなどの問題についても教えてくれました。特に階下の住宅ではカビの問題や配管の水漏れ等の深刻な問題が発生しており、彼女は問題を抱える他のアパートの住民の手助けに奔走しています。
L’îlot 8アパートの外観

このようにアパートが突き出しているため、階下のペデストリアンデッキに物が落ちることもある 嵐の時にはテラスから鉢植えが落ちてきたことも 階下は平面的にテラスが小さくなるないしは取れず、開口部も取りにくくなるため平面的に狭く、賃料は安くなる


後日、階下の他のアパートへ案内してもらうことができたのですが、玄関の扉を開けた瞬間、呼吸がつまる感じがし、匂いも異常を感じました。驚いたのが、住戸内の天井のほとんどが灰色になっていたこと。黒いカビが天井中に生えてしまい、それをこすり取った跡でした。ここには黒人家族が7人(大人2名、子ども5名)で住んでいるが、個室は3つしかなく、7年前の入居当初は12人で住んでいたそう。この建築の窓には換気スリットが付いているものもありますが、室面積に対して非常に小さく、かつ数が少なく機能していない状況でした。この建築では基本的には機械換気設備で換気できるようになっていますが、もう数年この住宅内では機能していないとのこと。当然家族に呼吸器系の健康被害が出ていました。そもそもこの社会住宅はスラム街をなくし、住民の健康を守り、生活環境を整えるためであったはずですが、これではスラムとまでは言わないまでも、通常の健康的な生活とは程遠い印象です。

他にも、ペデストリアンデッキに面する2階の住宅はそこでの薬物売買などの違法行為から空き家が多くなっているとのこと。また一部の棟の住宅は公道に直接面した共用の玄関がなく、配達物の受け取りが難しいため借り手がいないそうです。

このL’îlot 8が現在直面している最大の問題は、市がこの社会住宅を私有化し手放そうとしていること。そうなった瞬間に、住んでいる住民は私有化後のメンテナンスなどの費用の増加に経済的に耐えられなくなり、退出する住民が続出しコミュニティが崩れてしまいます。

L’îlot 8の私有化反対ポスター

市が進めるL’îlot 8の私有化に反対する住民組合によるポスター 一部の住民が入れ替えられることになると訴えている


建築家の目指した、通常のバータイプではない、自然と対話する鋭角なプランとテラス、そして住民の個性に対応した異なる複雑な平面は、いくつかのアパートでは実現しています。一方で、その複雑なプランはどこで外と内を区切るかという問題を複雑にしてしまうため、セキュリティ管理も複雑になります。また、市が推し進めている私有化は、ペデストリアンデッキに住民以外が入れないようにする、すなわちペデストリアンデッキに登る階段を全て閉鎖することと、L’îlot 8の地上階を通っている公道も封鎖する必要が出てきます。こうすると、建築家が当時考えていたブリッジでのほかの棟への自由な移動が不可能になり、さらに公道に面している何棟かの共用玄関へのアクセスが複雑になるなど問題が山積しています。

今後この複雑に絡み合った問題をどう解決していくのでしょうか・・・。様々な階層の住むL’îlot 8の断面でフランス社会階級の断面図を見ているかのようでした。