びおの珠玉記事

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嫌われる落ち葉

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2014年11月27日の過去記事より再掲載)

落ち葉で遊ぶ子供
朔風払葉(きたかぜこのはをはらう)」、冷たい風が堪える季節になってきました。朔風と書いてきたかぜ、と読ませています。北風が葉を吹き飛ばす、もうそんな季節です。

今回は、いまや嫌われ者になってしまった「落葉」について触れてみます。

寒くなるにつれて色づく樹々を、美しいと感じる人もいれば、それをなんとも思わない人もいます。風に舞う落葉に風流を思う人もあれば、ゴミが飛んできたと憤る人もいます。雨樋や側溝を埋めてしまい、苦情のもとにもなっています。
側溝に溜まった落ち葉
元来、植物が葉を落とすのは生存のためのメカニズムであり、また落ちた葉も生態系の一員として、地面を覆って保湿をしたり、あるいは食べられ、分解されて土壌を豊かにしたり、という役割を担ってきました。

人が木を利用するようになっても、落葉は堆肥に利用されたり、乾燥した性質を利用して着火剤のように使われたりもしてきました。
造園では、落葉を自然のままにせず、一旦拾い集めた後に改めてまき散らす、というやり方もありますし、寺院では修行の一環として行われてきました。落葉を集めることには、意味があったのです。

生活が都市化すると、堆肥も要らなければ着火剤も要りません。いきおい落葉は単純に邪魔者扱いされます。すなわち「ゴミ」です。

かつて、家でゴロゴロしている夫を称して「粗大ゴミ」というのが流行りました。その後に、「濡れ落ち葉」という表現が加わります。定年退職後の時間を持て余している夫が、妻の外出に付いてくる様を称したもので、払ってもなかなか落ちなくてどこまでもついてくる、という、まったくもって落葉のイメージを悪くした言葉です。

実は落葉が迷惑である、ということも、イメージで随分左右されるようです。

国土交通省国土技術研究会で発表されている論文で、「沿線住民と共存した落ち葉清掃の工夫」というものがあります。
八王子市の国道沿いのケヤキ、イチョウの落葉に殺到していた苦情をどう減らしたか、というお話。
イチョウの落ち葉
苦情は大きく分けて2つ、
民地に越境してきた枝から落ちた葉が雨樋などを詰まらせる、というものと、落ちている葉を拾い集めることの労力について。

詳細はPDFを読んでいただくとして、ざっくりいえば、「夜間に清掃していた落葉を、昼間の清掃に切り替えた」ことで、苦情が大幅に減った、というものです。

もちろん、この他にもビラなどで周知したり、剪定や清掃のタイミングを変えたり、ということもあったようですが、効いたのは、夜間にひっそり清掃していたのをやめて、昼間の、目につく時間帯に変えた、ということです。落葉が落ちている、ということそのものの問題もあるけれど、「掃除していますよ」というのが見えれば、苦情は小さくなる。…人の心理って、こういうものですよね。

エアコンの室外機からいくら熱風を噴き出そうが、家庭でどれだけ燃料を燃やしてCO2を排出しようが、別段お咎めはありません。
けれど、落葉が隣に飛んでいけばクレームの対象となる。
たとえ落葉が再生可能資源である、などといったところで、せんないことです。
雑木林の落ち葉
そしてもうひとつ、忘れてはならないのが、福島第一原発事故の影響による落葉の汚染です。
未だに、福島と周辺県では、落葉を燃やしたり、堆肥を作ったりということが出来ないところが多数あります。これは、異常な事態です。

全国的な報道にはだいぶ少なくなった「除染」は、今も続けられています。

森林は、住居から近いところ(A)、人が日常的に入る森林(B)、その他(C)に分けて除染されます。
現実的に、あまりにも広大なCのエリアの除染が可能なのでしょうか。

いま進められている原発再稼働では、万一の事故の際には国が責任をもって対処する、とはいうものの、広範囲な森林汚染が起きれば、現在の知見では、やはりどうすることが出来るものでもありません。こちらは、イメージで苦情を減らす、という作戦では困ります。

なんぼう考へてもおんなじことの落葉ふみあるく  種田山頭火

どうかこれ以上、落ち葉の地位を堕とすことの無いよう、切に願います。
落ち葉と猫