色、いろいろの七十二候

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天地始粛・秋の七草

秋の七草
こよみの色

二十四節気

しょしょ

処暑
萱草色かんぞういろ #F8B862

黄みがかった橙色のこと。萱草の花の色から名付いた。萱草の別名は忘れ草といい、平安時代は忌事に用いる凶色であった。

七十二候

てんちはじめてさむし

天地始粛
瑠璃色るりいろ#1E50A2

こい紫みの青。瑠璃は仏教でいう七宝の一つ。宝石の英名はラピスラズリで、色名はウルトラマリンブルー。また瑠璃はガラスを意味する言葉でもある。

ラピスラズリの色を意味する伝統色には「紺碧(こんぺき)」や、他に「群青色 (ぐんじょういろ)」などもある。

秋の七草は、春のそれとくらべて話題にあがりにくいような印象があります。春の七草は、七草粥という、新年早々の行事に彩られている反面、秋の七草は、身近にそれを扱う行事があるでもなく、そもそもほとんどが食用でもありません。消費に繋がる話題でもないと盛り上がりにくい昨今です。しかし、秋の七草が置かれている状況は、決して看過できるものではありません。

秋の七草は、山上憶良の歌にはじまるといわれています。

秋の野に咲きたる花を指折りて
かき数ふれば七種の花(その1)
萩の花尾花葛花なでしこの花
女郎花また藤袴朝がほの花(その2)

万葉集・秋雑歌に収められている二首です。

この七草はみな、人里に近い二次自然、いわゆる里山に生える植物です。

ススキ(尾花)は茅として屋根をふいたり、衣料、飼料、肥料などさまざまな用途に使われていました。背の高いススキを刈り取ると、そこに日が当たるようになってハギやナデシコ、キキョウなどの花が咲きます。
人が手を入れることによって出来た自然が、万葉のころから数十年前まで続いてきました。

かつて貴重な材料だったススキですが、いま、それを生活の営みに組み込んでいる人は皆無と言ってよく、人の手によって攪乱されることのない里山の植物は絶滅に瀕しています。
環境省のレッドデータブックでは、キキョウは絶滅危惧種Ⅱ類 (VU)に、フジバカマも準絶滅危惧(NT)に指定されています。

里山、という言葉はいまや記号のように使われることもあって、人によって印象がまちまちでしょうから、あえて「人が手を入れている草原」と呼んでみましょう。

この、人が手を入れている草原が、秋の七草の生息場所です。あなたの身の回りに、人が手をいれている草原、ありますか? なかなか想像がつきません。森林、里山は保護しよう、という動きもありますが、草原となると、あまり気にされていないのが実情で、その結果が、秋の七草が失われつつある、という現実です。

ところで、事実上なくなってしまった草原や里山は、どうなるのでしょうか。誰も刈り取らないススキが群生すると、やがてアカマツやコナラといった生長の早い陽樹の林に遷移し、その後にシイやカシ、ブナといった陰樹の高木林になります。ここまで至るには百年を超えるような長い期間が必要です。かつては、これらの陰樹、陽樹、そしてススキも人の営みに用いられたため、森林の遷移は人の手で引き戻され、また少しずつ遷移していく、ということが繰り返されてきました。人が手を入れない林は、原生林として陰樹の高木で安定してきました。

そうした断続的な変化が、まさに「自然との共生」です。
現在もこの言葉は多用されますが、それは単に自然素材といわれるものを用いただけだったり、緑が眺められる景色がある、というだけだったりと、直線的かつ近視眼的なやり方が目につきます。

秋の七草がすっかり見られなくなって、かわりに秋の花として、セイタカアワダチソウが隆盛を極めた時期がありました。
道路の中央分離帯や土手、休耕田などあらゆるところに群生し、人の背丈よりはるかに大きくなって黄色い花を咲かせ、刈っても地下茎が残っていればまた翌年生えてくる、なんとも生命力のつよい雑草です。
他の植物の生長を抑える物質をだすアレロパシーといわれる効果も持っていて、およそ我が世の春(秋?)とばかりに咲き誇っていました。

ところが、このセイタカアワダチソウが、気づいてみるとずいぶん減っているのです。
自身のアレロパシーによって減っていったのかもしれませんし、自治体などの駆除が功を奏したのかもしれません。
変わって土手や荒れ地にはススキの群生を見るようになってきました。こんどはススキが悪者になる番でしょうか。それとも、いつか日本に、草原が戻ってくるときがくるのでしょうか。
植物の遷移は、ゆっくり進みます。

文/小池一三
※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2014年08月23日の過去記事より再掲載)