色、いろいろの七十二候

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熊蟄穴・もうすぐクリスマス

もうすぐクリスマス
こよみの色

二十四節気

たいせつ

大雪
浅葱色あさぎいろ #00A3AF

七十二候

くまあなにこもる

熊蟄穴
鳩羽鼠はとばねずみ #9E8B8E

12月上旬を待たずに、街はクリスマスに染まります。
店舗や住宅はイルミネーションに飾られ、あちこちにクリスマスツリーが立ちます。

12月の日本からクリスマスをとったらどうなるのだろう、と心配になるほどに、みっちりと経済・暮らしに密着しているクリスマスですが、どうしても日本の民俗学ではよそ者扱いです。

クリスマスは、やはりキリスト教と同じく、フランシスコ・ザビエルによって日本に伝えられたと考えられています。
ザビエルは鹿児島県・薩摩半島から上陸し、長崎、福岡を経て山口に渡ります。そののち、大阪を経由して京都に入りますが、また山口に戻ります。

1552年12月に山口県で行われた、当時はポルトガルの呼び方でナガラ(Natal)と呼ばれたものが、日本の記録に残る一番古いクリスマスの催しです。しかし、これは、ザビエルが日本を去った後の記録であり、ザビエルが持ち込んだであろう最初のクリスマス自体は、明らかになっていません。この後、日本は鎖国に突入します。隠れキリシタンは、クリスマスを神仏信仰に偽装、あるいは混成させながら、ナタラを続けます。

日本の伝統芸能とされる歌舞伎でさえ、400年ほどの歴史です。歌舞伎とは異なり、民間でさまざまに変化してきた行事ではあるものの、クリスマスは、単なるイベントとして切り捨てられない歴史を持っています。

サンタクロースが日本にやってくるのは、これに遅れること300年、文明開化の促進のために政府に雇われた外国人によってもたらされたのがはじめてのようです。

明治後期には、「三太九郎」なる老爺が、ロバを従えている様子が描かれた本が出版されています。

さんたくろうイラスト
さんたくろうイラスト
所蔵=国立国会図書館

文明開化の声とともに、クリスマスは、宗教行事とは別の、何やら見たこともない祭り、という普及を進めていったのでしょうか。

クリスマス、という言葉は、俳句で初めての外来語のカタカナ季語としても知られています。これをはじめて用いたのは正岡子規で、

八人の 子供むつまじ クリスマス

の他、多くのクリスマスにまつわる句を詠んでいます。

年末年始の縁起物といえば、当時は七福神、特に恵比寿様や大黒様の人気が高かったのですが、サンタクロースも一種の年神として、この頃から人気を高めていきます。

「うちはキリスト教徒じゃないから」と、クリスマスを否定する人がいますが、それをいったら大黒様も、もともとはヒンズー教のシヴァの化身です。サンタクロースもすんなり取り込んでしまうのは、各地の神仏習合を進めてきた日本らしい結果だとはいえないでしょうか(サンタクロースは、神でも仏でもないのですが)。

そんなわけで、明治時代からサンタクロースはプレゼントをくれる存在でした。かつてはクリスマスと言えば、子どもがプレゼントを楽しみにしている、という構図が思い浮かびました。

現に自分がこどもの頃は、それはもうクリスマスが楽しみでしたし、玩具メーカーは、こぞってクリスマスに大型商品を展開してきたのです。年末商戦という言葉があるように、この傾向はいまも変わりませんが、むしろ昨今は、クリスマスは恋人たちのためにあるかのように錯覚するほど、カップル向けのサービスが展開され、当の本人たちも、当日をどう過ごすかに余念がないようです。

果たしてこれはいつからだろう、などと考えておりましたら、「ユーミンの罪」なる本が目につきました。

ユーミン(松任谷由実)の歌は女の業の肯定である、と。本のコピーには『ユーミンが私達に遺した「甘い傷痕」とは?』とあります。彼女の歌に「恋人がサンタクロース」というものがありました。恋人がサンタクロース、という発想は、現在進行である人もいれば甘い傷痕である人もいるでしょう。
そうしてやがて過程を築き、子どもが生まれ、クリスマスには「サンタさんっているの?」と聞かれるときが来るのでしょう。サンタクロースはいるのか? その答えに困った人は、ぜひこの記事も読んでくださいね。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2013年12月07日の過去記事より再掲載)