色、いろいろの七十二候

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水沢腹堅・鍋料理

鍋料理
こよみの色

二十四節気

だいかん

大寒
梅鼠色うめねずみいろ #C099A0

赤みがかった薄い鼠色。鼠色は江戸初期、火事や火葬を連想する灰色を嫌い生まれた。奢侈(しゃし)禁止令によって染色の色が茶色系統、鼠色系統、紺色系統などに制限されたなかで、微妙な色の違いを生み出し、当時の人々はそれを着物にして楽しんだそうです。梅の特産地「豊後」にちなみ『豊後鼠』といわれることもあります。

※奢侈禁止令(しゃしきんしれい)または奢侈禁止法。贅沢(奢侈)を禁止して倹約を推奨・強制するための法令および命令の一群。

七十二候

さわみずこおりつめる

水沢腹堅
熨斗目色のしめいろ #175B66

織物の小袖のひとつである熨斗目(のしめ)※2に用いられたやや灰みの濃い鈍い青色。熨斗目の地染めが藍染であったので、熨斗目色は藍色の系統に分類されました。また江戸時代に士分以上の者の礼服として、縞や格子を織り出したものを熨斗目模様と呼ばれました。市川團十郎の役者色である舛花色(ますはないろ)は、この色から派生したと言われています。

※2:模様が着物全体に絵のように描かれている着物を、絵羽模様と呼び、絵羽模様の一つに熨斗目柄があります。着物の裾に模様が横段につながって描かれ、元来は、武士が着用した小袖の柄で、室町時代に始まったといわれています。それ以外に、能装束では、熨斗目は男役の衣装で、武人、僧侶に用いられます。

寒い季節は鍋料理が、なんといっても暖まりますよね。寄せ鍋や水炊きといったオーソドックスなものから、石狩鍋、きりたんぽ鍋、もつ鍋などの、全国の郷土鍋。あるものを適当に入れてしまってもなんとかなるし、最後は雑炊にしたり、ラーメンを入れたり、うどんを入れたりといった楽しみもあります。翌日残った鍋の、前日とはまた違う味のしみ方も、またたまらなかったりして…。

鍋物というと、大人数でわいわいといただく、というイメージがあるものです。家族での夕御飯はもちろんのこと、冬場の宴会にも、よく鍋物コースが用意されています。みんな、鍋料理が好きなんですね。

みんなでひとつの鍋を囲むことで、「同じ鍋の飯を食う」という連帯感が生じたり、自然発生的に鍋奉行やらアク代官やらが生まれたりと、料理だけでなく、人とのやりとりも、鍋料理の楽しさです。

食べ物のエッセイで知られる東海林さだおは、しかしそんな鍋物の楽しさに一家言持っていて、「鍋物について」という文の中で、

一見、和やかそうにみえるその人々の心の内には、陰謀や奸計、思惑や利害、実利か体面か、などのどす黒い心の動きがあるはずなのである。
鍋料理というものは、参加者それぞれの相互の信頼と、互譲の精神と、自我の抑制という現代では最もあやふやになっている精神的土壌の上に成り立っているものなのである。

と、まあ彼らしい切り口で、鍋料理が持っている問題点を鋭くえぐっています。

同じエッセイでは、すきやきが登場します。その様子は、まさにこの上記の問題を描いているのですが、そこは泣く泣く割愛します。縄ののれんよりもう少し高級な店になると、おねえさんが肉を持ってくるだけで逃走せずに、つききりで鍋を管理してくれる店もある、として、すきやきを取り分けてくれる高級店のことにも触れ、

しめやかな雰囲気のうちに自分の取り皿が手渡され、それを手に持って、しらたきなんかをズルズルとすすりこんだりしていると、なぜか難民のような心境になる。
 鍋料理は、やはりそれぞれが、多少の競争心と多少の自分の利あらんとする気持ちと、多少の焦燥感が伴わなければうまくないものなのである。

現代の鍋料理が持つ心の葛藤をうまくあらわしているなあ、などと感心するのですが、近年の鍋料理とは、そういうものばかりではないようです。

ひとり鍋は正しい作法?

牛丼で知られる吉野家が、 2013年末から「牛すき鍋膳」と「牛チゲ鍋膳」の販売を開始しました。牛丼チェーンは激しい値下げ競争を繰り広げてきましたが、吉野家は、ここに固形燃料を使った一人鍋の提供をはじめたのです。牛丼に比べれば厨房側の手間が増え、客の回転も悪くなるであろうこの挑戦でしたが、吉野家の2013年12月の客数は増加、これまですき家、松屋の後塵を拝していた吉野家に復活のきざしが見えています。

1人鍋、というのはちょっとさびしい雰囲気もします。先の東海林さだおによる「鍋物について」も、旅館の宴会などで出てくる小さな鍋について、「これがなぜか妙にうら淋しい」と書いています。

ところが、この感覚がいつも多数派とは限りません。

日本の世帯人数の構成は、1人世帯が1678万、2人世帯が1412万、3人が942万、4人が746万、5人以上が405万という構成です(平成22年・総務省統計日本の統計2012より)。

1人世帯を家族と呼んでいいものかわかりませんが、世帯で一番多いのは、1人ぐらしの世帯です。3人、4人世帯をあわせた数が、1人世帯と同じぐらい。
家族全員で鍋を食べよう、と思ったら、1人鍋になってしまう、という人が、相当多いのです。こうした世相を反映して、1人鍋に限らず、1人カラオケやら、レストランや温泉なども、1人向けのマーケットをしっかり掴んできています。

1人鍋に話を戻すと、古くの日本の食事では、銘々膳といって、一人一人にお膳が割り当てられていて、大きな鍋から各自でとりわけて食べる、という風習はありませんでした。家族揃って食事を食べる、という風習自体も、それほど古くからのものではありません。

川端康成の実体験を元にしたという「伊豆の踊子」には、

一口でも召し上がって下さいませんか。女が箸を入れて汚いけれども、笑ひ話の種になりますよ。

という台詞が出てきます。旅芸人たちの宿を尋ねたおりに、鍋物を勧められたときの話です。日本は大正デモクラシーの真っ最中で、家族がそろって食事をしたり、鍋を一緒につついたり、ということが始まったばかり頃の出来事であろうこの話は、女が箸を入れて汚い、という考えが、当時は女は男の後で食事をするものだ、という考えがまだ残っていたことを表しています。

安土桃山時代末期を描いた「一夢庵風流記」では、前田慶次郎と、漂泊の民たちとのシーンに、鍋が登場します。

流れのすぐそばで大鍋が火にかけられ、何かがぐつぐつ煮えている。(略)慶次郎には遠慮もなければ、わけへだてもない。長い箸を鍋につっこんで正体不明の肉らしい塊を椀にうつすと、いきなりかぶりついた。「うまい」(略)傀儡子の老人と甚内双方の顔から、明らかに緊張が去り、微笑が浮んだ。慶次郎が心から云った言葉であることを実感したからである。

傾き者・前田慶次郎と、漂泊の民、傀儡子一族。武士である慶次郎が彼らと食事を共にするだけでも驚きなのですが、皆がつついていたであろう鍋を、躊躇なく食べて、うまい、と延べます。武士が自ら、漂泊の民の鍋に箸を入れる、というのは、当時考えられなかったことなのでしょう。それ故に、信頼を掴むことにもなった、というエピソードです。

こんな具合に、古くは鍋料理を皆で食べる、ということには身分や作法等のハードルがありました。
前述のように家族構成も変化しています。作法も食事も変化しています。
鍋料理への郷愁は、昭和のある時期だけにあった、特別なものだったのかもしれません。
鍋料理も、いつか「昔は家族で同じ鍋を囲んで食べていたんだよ」と言われる時代が来てしまったりして。

いえいえ、「相互の信頼と、互譲の精神と、自我の抑制」を発揮しながら、鍋料理を楽しんで後世に残しましょう!

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2014年01月20日の過去記事より再掲載)