よいまち、よいいえ

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佐賀県佐賀市長崎街道・柳町・松原境

松原境の城下の運河

城下の運河と長崎街道

3月3日快晴。城下ひなまつりの最中で、あちこちの商家で様々なひな人形を見せていただき、江戸時代から300年以上続く商家では、運河から荷を上げていた裏の庭までご案内いただいた。江戸時代の雛人形から、手作りのひな人形、花や菓子で造ったひな人形など多様な展開に驚いた。石の様々な恵比須像が、まちかどのあちらこちらに見られるが、恵比須ステーションで市内に800あると知った。旧町屋の住まいを市が整備し貸している「ものづくりカフェ(こねくり屋)」の二階では、若い方達のミニ工房の回遊もできた。骨董市の会場になっていた松原神社川沿いでは、舟に雛を載せて流す祭礼が催され、その様子をスケッチしていたら、声をかけられ歴史の話も聞けた。「ものづくりカフェ」の裏の橋から街並みや空を鏡のように映す運河が見えたのでこの絵を描いていると、また、その方と出会い、最も古い薬店に連れていただくことになった。その薬店のご主人からは、裏の運河から有明海を通して、オランダや中国と、長崎出島とは違ったルートで貿易していたことなど、表には出ない話も聞くことができた。展開は、思いがけない海外との知見にもつながった。

城市の展開

城下町はそこかしこ

中核都市の多くは城下町で、日本のあちこちにあるのだが、意識しなければ城下町だったことに気づかず、見過ごしていることも多い。城下町だと歴然とするのは、天守閣などが見えることだろうが、その遺構が残っている都市、再建した都市、櫓や門や屋敷や石垣でわかる都市などいろいろだ。天守閣が高い位置にそびえ、遠くからも見える所は、正にその歴史も視覚化された街のシンボルだ。しかし一方、下から見ると、周辺の町との身分差や格差の歴史や威圧も感じさせられることがある。平民としては、格式を重んじないフラットでフランクな社会を願いたいから、現在は、城の環境が誰にでも身近で、天守閣などの施設を除けば時間制限もなく気楽に行ける場になっていれば助かる。大方の例は公園的な場になっており、周辺からの見た目よりは、登ってみるとそう大変な高さや大きさではなく、立派にそびえるように見せる視覚的効果も狙ってデザイン・築造されたと気づく。海や川などの水辺に接した場に築造された例もあり、一般市民に解放されていれば水害にも更にありがたい存在となる。

都市計画は、城市計画?

20数年前、都市計画の援助で中国へ行ったとき、中国では城市計画と表現されることを知った。その時は、都と城の違いをさほど意識しなかったが、最近気づいた。字にすると都と城の違いだ。都は、「者」と「おおざと」で作られた字、城は「土」と「成」の字であるから、目的や仕組みにも差がありそうだ。都とは国の政庁のあった藤原京、平城京、平安京などとすると、東京ももとは江戸城と城下であり、政庁の都の造りからは始まっていない。近世以降のよくみられる城下の構成は、環状の内堀、外堀、川や海とつながる運河、街道などが市街地の骨組みで、廃藩置県の近代になって、城内は公共施設や学校に、外堀や運河は埋められ車の道路、鉄道、建物に変わってきた。東京は城が皇居となっているが、同じような変化で、中心地の近代化は、城下町の骨組みを利用して対応している。米国に負けた戦後は、自動車の利便とともに郊外住宅地開発が広がった影響もあって、城下であった印象は薄らいでいるが、城のあったヨーロッパの都市とかさねて見ると、建物の構造や姿などは違うものの骨組みの変化は類似していることが少なくない。そう思うとヨーロッパの諸都市巡りの楽しさと同様な可能性が日本の中核都市巡りにもありそうだ。

今の城市の姿と期待

城市としての特性を顕在化しようとする町は少なくない。しかし、市の多くの中心市街地が寂しくなり、現実の姿からは、その魅力が今一つ伝わってこないところがほとんどだろう。佐賀市もそんな例の一つだろう。駅が造られた時に適正な距離を読み間違えたのか、駅から城跡までは、直線的にシンボルロードで繋がっているが、その距離は他の市に比べて遠く、中心の道としての建物集積は今一つで、途中ポットパークなども整備されているもののシャッター街的な場もあり、散漫に感じ、歩くにはやや退屈で、バスや車に乗るには近すぎるといった関係にある。行き着く城跡は、掘と石垣のみで、気持ちの高まりも低い。一方、城の東側の柳町周辺は、賑わいを呼ぶイベントとともに、歴史や文化なども密度の高いエリアであり、可能性の期待も感じさせてくれた。課題は、他のエリアもどうつながるかの関係や骨組みにあるのだろう。

繋がりの見直しと新たな城市としての復興

密度の高い柳町付近では、運河を通して他と広くつながり、鎖国時代に中国やオランダの物が、幕府とは違ったルートから入っていたことも聞いた。日本のオランダとの繋がりは、徳川家康の時からもあり、江戸の都市の骨格づくりや利水、治水、干拓や低地の杭工法から医学まで、そして幕末は反射炉による鉄づくりや軍艦まで、近代への準備段階を育み、明治は水害対策などに反映してきたと思われるが、かつての飛び越えた繋がりを再度見直してはいかがかとも思う。もともと土地のなかった所に築いたオランダは、今でも環境や関係づくりにおいても最先端の国だ。いち早く自転車交通の実現、信号がなくても安全な交通ネットワークの実現、ワークシェア、対立を相互に利のある方向に変えるノウハウなど様々な実績もあるオランダだ。今日本の主流の考えやタブーから飛び越えて、ハンディをメリットにする知恵の実践の参考にすることもあろう。復興は東日本沿岸部のみならず、それぞれのまちが独自の新たな城市として復興できるようエールを送りたい。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2016年04月04日の過去記事より再掲載)

著者について

小澤尚

小澤尚おざわ・ひさし
国内や外国の現地でのスケッチとともに、昔の姿の想像図や、将来への構想や設計の図も、ハガキに描き続け、ハガキをたよりに、素晴らしい間の広がりを望んで活動。2004年から土日昼は、日本橋たもとの花の広場で、展示・ライブ活動を行ってきた。 東京藝大建築科卒、同大学院修了。(株)環境設計研究所主任を経て独立し、(株)小沢設計計画室を設立し、広場や街並み整備も手掛けた。宮城大学事業構想学部教授(1997~2013)を経て、設立した事務所のギャラリー・サロン(ギャラリーF)を日本橋室町に開設・運営。2021年逝去。

連載について

建築家・小澤尚さんによる連載「よいまち、よいいえ」。 「いえ」が連なると、「まち」になります。けれど、ただ家が並べばよい、というのものではありません。 まちが持つ連続性とは、空間だけでなく、時間のつながりでもあります。 絵と文を通じて、この関係を解いていきます。