よいまち、よいいえ

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栃木県栃木市巴波川

巴波川と鯉のぼり

鯉のぼりと願い

街の中心を流れる巴波川(うずまがわ)と街並みを最初に訪ねたのは約40年前、一泊し夜と朝もわくわくして歩いた。以来、ある時は家族を、地域の会を、学生を率いてなどの機会があり、その間の変化も見てきた。今回は、鯉の育つ川の上に、爽やかな風でいっせいに泳ぐ時を待つ鯉の並ぶ姿に出会った。
初夏には、あちこちで鯉のぼりが、青空にたなびく。東京下町の密集地でもかつては、物干しなどにも見かけられた。人口過疎化や少子化の時代、業務集中ビル化した都心地域でも、その姿も見られなくなり、忙しく子どもの存在も忘れられがちになるのだろうが、里の農家に立てられた姿を見ると多分子どもがいるのかなと想像させ、ほのぼのした気分になる。
最近は、川に鯉のぼりを幾つも渡して舟や川辺で楽しむ催しが各地で見られるようになった。子が育ち、奥にしまわれていた鯉のぼりも加わって、五月晴れの空がより躍動的にわくわくさせてくれる。子ども達の姿や成育をなによりの楽しみとして外に象徴的にあらわす伝統的文化の新たな姿に感謝だ。

地域と子ども

医療・福祉の場づくりから

川の両岸に連なる鯉のぼりの群が空を泳ぐ姿を楽しむ最初の体験は、岩手県北上の展勝地を舟からの、桜並木満開の頃だった。誘って下さったのは、北上で地域医療福祉を全国に先駆けて実践してきた医師兼理事長、そして保育園の園長でもある先生だ。高齢化社会といわれ高齢者の課題にばかり目を向けていた10数年前に、高齢者が少なくなる30年後の時代の課題を既に考えていた方でもある。看取りや医療・福祉の基盤づくりの不可欠なことの一つとして子育て環境づくりの実践をされて、医療や福祉の場に働く方々が、安心して活躍できるように、早期から隣接地に保育園を設立してきた。その子ども達の成長とともに次の場づくりも必要になる。その頃の次の話題の一つが学童保育で、その課題の意見交換をさせてもらった。更に、使われなくなった施設の転用などの施設的な事業のみならず、道や環境、交通、催事、情報までも具体的な事業化についての話しをうかがえて、総合的な実践に感銘した。地域の現場では、医療でも縦割りではない総合的なつながりづくりが不可欠なのだ。

過疎と子ども

例えば子どもが少くなったので学校を失くすという単純な方向は避けたい。小学校は、防災や地域コミュニティの拠点でもあり、子どもがいて地域が続く。私事だが、まちづくり関連の仕事で、活性化のために小学校廃校を前提として文化施設を建てるといった考え方が出た際には、断固反対してきた。バブルの時代、都心では業務ビル化が急速化し、小学校の統廃合化が進められた時期、娘達の小学校の存続に力を注いだ。報道されるような課外教育的な催しも実施したが、長野県の山地の分校と都心の過疎校との交流を10年間続けたこともその一つ。親子ともども学び、縁も深まり、山村留学した子は、もう一つの故郷と兄弟ができ、今や親として子育てに励んでいる。阪神大震災の時には、小学校で義援金を集めて、被災地の小学校に届けに伺い、報道ではわからない被災後の役割や状況などを校長先生やPTA会長さんから聞くこともできた。その後、防災拠点としての小学校の価値が再認識されたこともあって、その都心の小学校は今も存続し、地域が大事にしてきた特色とともに、国際的な教育の場としての特色づくりも行われている。

国際化と道の安全化

国際化によって、都心では、高層の業務ビル化によるビジネスマンの増加のみならず外国人観光客も多く訪れる昨今だが、震災などの事態が起これば、従前を超える混乱も予測されよう。戦前、関東大震災後、防災のために造られた緑の安全な大通りは、戦後、自動車に専有され、頭上には高架の自動車道まで造られるなど、安全とは逆さの危険な場に変わった。また、交差点の安全化は信号増加によって補ってきたが、万が一の場合どう信号機が役立つかも疑問が残る。
一方、海外の例には逆さの発想、信号機をなくして安全にした町もある。自転車の町としても知られているオランダのハウテンは、道路ネットワークや交差点の在り方にも知恵があった。自動車のアクセスは、外側の環状道路から房状の道路ネットワークでアクセスする。そして、歩行者や自転車の専用道路は、中心にある駅から緑や水とともに房状につながって家や学校まで快適に安心してたどり着ける。車と歩行者が通行する交差点は、Xや+型ではなくY型が原則だ。Y型の交差点の場合、車は減速して曲がって通ることになり、斜め左右に歩行者がいれば発見しやすく、歩行者も斜め左右の通行を見渡せる。信号機や標識などの倒れる無駄なものはなく、信号機の変わり目などで人も車も慌てて渡るような危険性もなく、無駄に待たされる時間やストレスやエネルギーロスもなく快適に行き来でき、にこやかに挨拶する余裕や良い関係も生まれる。

開かれた関係の学び舎

そうした道路網だから小学校は、住区に囲まれた芝生の広場の中にあり、車の走行もなく安全で、不審な事態にも住民の目が届き、学んでいる姿も見られる。治安のために塀や門で閉じる必要がないように、道路をはじめ総合性ある環境づくりがされ、学ぶ場も開かれているのだ。見たのは、児童達が円陣状に向かい合って話し合い、先生はその外側で控えていた様子だった。児童達がこちらに手を振ってくれたのでこちらも応えたが、先生は見守るだけ。児童達が自主的に進めているように見えた。見聞きしたことによると、「教えない教育」とも言われ、小さい頃から学ぶことを自ら決めさせて、それをサポートする教育。自らの意見を持ち話し合う場や時間も大事にする、いわば「自ら学ぶ共育」なのだろう。オランダは、昔から国際的な商業都市・市民社会がつくられたようだが、黒人や東洋人やアラブ系の人々も市民であり、現地に行けば全てがオランダ人として感じられる。違った考え方や習慣どうしが、仲よく互いにより良くなる知恵を自ら見出すことを育んでいるのかもしれない。
日本でも、昨年夏の体験で、長野の高校生たちの国際教育プログラムで「自ら学ぶ共育」に接することができたが、安全な環境づくりも含めてこれからへの総合的な転換が求められるのだろう。自らも、爺の世代の役割として次への転換に励まなければならないと思う。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2016年05月05日の過去記事より再掲載)

著者について

小澤尚

小澤尚おざわ・ひさし
国内や外国の現地でのスケッチとともに、昔の姿の想像図や、将来への構想や設計の図も、ハガキに描き続け、ハガキをたよりに、素晴らしい間の広がりを望んで活動。2004年から土日昼は、日本橋たもとの花の広場で、展示・ライブ活動を行ってきた。 東京藝大建築科卒、同大学院修了。(株)環境設計研究所主任を経て独立し、(株)小沢設計計画室を設立し、広場や街並み整備も手掛けた。宮城大学事業構想学部教授(1997~2013)を経て、設立した事務所のギャラリー・サロン(ギャラリーF)を日本橋室町に開設・運営。2021年逝去。

連載について

建築家・小澤尚さんによる連載「よいまち、よいいえ」。 「いえ」が連なると、「まち」になります。けれど、ただ家が並べばよい、というのものではありません。 まちが持つ連続性とは、空間だけでなく、時間のつながりでもあります。 絵と文を通じて、この関係を解いていきます。