まちの中の建築スケッチ

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富岡製糸場
——国宝の明治建築——

富岡製糸場

NHKの大河ドラマで渋沢栄一が活躍している。藩ごとの武家政治から、明治の新しい国への体制の激変は想像を超える凄まじいものがある。フランス技術者の力を借りて、富岡の地に世界一の製糸の工場を明治3年に作ったというのだから、そのスピード感のあるエネルギーに驚く。
建築構造の修復もされたことを聞いており、一度は訪れるべきと思っていた。富岡市の無料駐車場にはかわいい循環バスも待っていたが、15分くらいのことと思い、古い町並みを歩いた。さすがに世界遺産を抱えているだけあって、あちこちにおしゃれな佇まいの新しい建築がみられる。上州富岡駅前や世界遺産センターも立派に整備されている。それなのに町の中に案内地図はあまりなく、「富岡製糸場へ」の案内標識ももう少し整備したらよいのにと思った。
あいにく、東京都も群馬県もコロナの緊急事態宣言下にあり、お食事処は残念ながらみな休業中。それでも連休の日曜日ということもあって、けっこう家族連れも目立つほど、入口で少し列ができるくらいの人を集めていた。
検査人館がチケット売り場になっており、そのすぐ正面に高さ15m、長さ104mの東置ひがしおき繭所まゆじょが迎えてくれる。アーチを抜けると左手には、まだ保存修理中の煙突のある蒸気窯所や乾燥場があって、正面にベランダのついた同規模の西置繭所が、そして南側には長さ140mの繰糸所そうしじょがある。東西の繭置所と繰糸所は、木骨煉瓦造で150年前そのままの姿をとどめているのは見事である。国宝に指定されているのは知らなかった。奈良や京都の古寺、江戸の城郭や日光東照宮というのはわかるが、明治の産業遺産も国宝になるのだ。
200m×250mほどの長方形の敷地に、でーんと100mを超える3つの国宝の建物がコの字型に配置され、周囲に寄宿舎や女工館、食堂、診療所、社宅も並ぶ。つい最近の昭和62年まで115年間も操業を続けてきたというのも建物がしっかり維持管理されたことにつながっている。木の柱や梁を枠にして煉瓦で支える構造というのは、他にほとんど例をみないのではないか。工場建築は、一般には常に合理化の嵐に晒され、20年、30年で更新されるとなると、耐久性を意識した設計は、現代では期待できない。明治3年に、まさか100年を超えて世界の工場として活躍するなどということは考えていなかったろうが、良いものをつくるためには、堅牢な建築が前提となるとの思いはあったと想像される。
フレンチ・ウィンドウやレンガ積みのディテール、繰糸所の屋根トラスをゆっくり見る時間が取れなかったが、ひとつの工場の原型を見る思いでスケッチした。左手が、繰糸所の入り口で、右手奥には女工館がある。建物間は、配管やケーブルがつないでいたのであろう。電柱も昔のままかどうかはわからないが、工場ならではの風景とも言える。正面に見える、東置繭所の前の小さな小屋には、高圧変電室と記されていたが、わが国で電力が供給されるようになったのは、随分あとのことだろうから、こんな形で変電室が小屋として追加されたのだろう。女工哀史の舞台ともなった労働者の過酷な労働環境の場でもあったということではあるが、建物からはあまり感じられなかった。それでも、歴史の建物は見る者にさまざまな思いを膨らませる。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。