まちの中の建築スケッチ

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多摩全生園旧山吹舎
——森の中の木造平屋——

多摩全生園旧山吹舎

国立多摩療養所全生ぜんしょうを訪れた。全国に13あるハンセン病の療養施設の1つである。医学的には感染性が強くないとされながらも、法律の存在により長く癩病患者の隔離政策が取られた。1996年に法改正がされ隔離政策は廃止となっても、社会の目はなかなかすぐには変わらない。2009年にハンセン病問題基本法が制定されて、ようやく患者や元患者の人権が回復され、入所者に対しても良好な生活環境が確保されることとなっている。今では、1943年の1500名を超える入所者が100名程度にまで減っているという。これからは、塀も取り払われて、療養所施設というよりは、全体が緑の公園になって行くのだろうか。

創立115年という全生園の中でも、歴史を刻んでいる建物が、旧山吹舎と呼ばれる軽症者のための十二畳半の4部屋長屋、寄棟の木造平屋である。昭和3(1928)年に、入所者の大工さんたちによって建てられたという。しばらく空き家になって傷んだこともあり、平成15(2003)年から始まった東村山市の「人権の森」構想事業の一つとして修復されたという。木造住宅で大きな部屋は八畳の正方形が普通であり、その場合、部屋の中に柱は不要である。十二畳半となると、柱間隔が少し広くなるので、旧山吹舎には、部屋の真ん中に柱があるのだろうか、などと想像した。1部屋に8人ということも記されていたので、むしろ柱があるくらいの方が良いのかもしれないが。

広い園内は、一般の散策もできるようになっており、史跡の説明板なども随所に置かれている。旧山吹舎の近くには、カトリックや聖公会などのキリスト教会、お寺もある。木造の旧図書館は理容・美容室になっている。国の隔離政策のもとで、偏見や差別の長い時代が終わったとは言え、現在もそのような経験をされた方々の暮らしがここにあるということだ。

ハンセン病ですぐ思い浮かぶのが、木下晋による桜井哲夫(1924-2011)の鉛筆画である。『いのちを刻む』(著者:木下晋・編著=城島徹/藤原書店刊)には、NHKアナウンサーと一緒に草津の療養所を訪ねたところから、描くことについて本人の了解をもらういきさつなども、詳しく記されている。多くの療養所が都会から離れたところに作られ、木造の旧山吹舎のような寮に隔離して住まわされたということなのだ。

もはや癩病も感染力は弱いので、隔離の必要はないことが当たり前になったので、それほど先のことでなくハンセン病療養所は不要になるであろう。緑の公園の中の建物群が、そのままの集合住宅として使えるものもあるかもしれないが、多くは解体されるのであろう。旧山吹舎のように、歴史的建造物として残される建物の場合は、どのような使われ方によって存続することができるのであろうかと、思いを巡らせてみた。

著者について

神田順

神田順かんだじゅん
1947年岐阜県生まれ。東京大学建築学科大学院修士修了。エディンバラ大学PhD取得。竹中工務店にて構造設計の実務経験の後、1980年より東京大学工学部助教授のち教授。1999年より新領域創成科学研究科社会文化環境学教授。2012年より日本大学理工学部建築学科教授。著書に『安全な建物とは何か』(技術評論社)、『建築構造計画概論』(共立出版)など。