よいまち、よいいえ

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新潟県筒石

新潟県筒石

小さな漁師町。
左の方向は、急な山。
右手に日本海。
いろんな意味で密度が高い。
それでいてほっとさせる。
家と家の距離、路地の幅、道に洗い場や階段、
消火栓や電柱、高い木造とその細部、
ベランダ、バルコニーそして多様な関係。
安全のためにも人々のつながりも強い。

地をつなぐ間を知る

震災や津波の心配とともに、河川の氾濫や、土砂崩れなどの被災で死者も出ている。各まちをつなぐ旧五街道歩きや河川沿い歩きをした時に感じた不安は現実になった。異常気象や想定外との理由もあろうが、将来や安全のためということで進められた戦後の公共整備に限界や疑問、そして不信感もあろう。日常生活の中で、大規模な堤防の高さに比べて地面の低さを目の当たりに体験できれば、万が一を想像し、不安を持ち覚悟や準備をするだろう。しかし、小さな川などが隠され、水辺から遠のいた低地に新たに住む場合は、水の流れや水位の変化、行方の状況を知る機会がなければ、不安を持つこともなく、被災はよその事と思うに違いない。戦後は、米国のように、車の便とともに、郊外の戸建て分譲地開発が広がり、もしも、危険性や問題点があっても、売るためには、あこがれや夢や利点を強調して販売される。もしも被災すれば、想定外のこととして、資産ばかりか家族を失う。米国では、水辺の大規模な分譲住宅がハリケーンで被災し、離散状態のままの例もあり、行政任せでは済まされず、生活する場のデメリットのチェックやその対策は、自らのスタートになる。しかし、一人では限界があり、家族のみならず、近所や地域とのつながりが不可欠だろう。旧市街地は、比較的安全な場所の場合もあるが、危ない水辺の旧市街地でも、危険とともに対処などの言い伝えや、神社などのふれあいや避難の場所もあり、そこでの知恵も参考になる。付近の古いまちを、余暇や健康のためにも歩きたい。

危うさと安堵

絵にした漁師町、筒石は、新潟の南端だが、過密で木造の密集した小さな猟師まちは、東京の都心中央区、高いビルや高層マンションに囲まれた一画にもある。隅田川の河口、海際、住所は佃一丁目。そこに入ると懐かしさもあるかもしれないが、ある安堵を感じさせてくれる。米国との戦争に負けた後の都市計画的な指標からすると、こうした地区は木造老朽密集地区で、火災延焼などの危険があり、不燃化促進とか、道路整備とかが進められ姿が変わる。しかし、その佃は、コンクリート護岸等を除けば、かつての面影を継続している。戦後の法律では、私道としての道路位置指定もされない1メートル弱の細い路地もめぐり、建替えの申請もできないような家屋が少なくなく、一般には延焼や避難の問題となるが、その路地も、興味深く温かみを感じさせる。

回避のマチ

歴史を少し紐解けば、関東大震災時に、周辺は大火災となったが、その佃は、焼け残った驚くべき実績がある。何故か。それは、逃げずにまちの人々が協力して消化活動したということなのだ。火災や水害など、危ういことを常日頃感じながら、互いに気をつけて、助けられるところは助ける。そうした人々の結びつきや培われた文化が背後にあるに違いないと想像させてくれる。祖先は、徳川家康が政権をとる前の逆境の時代、家康を舟で渡した漁師たちといわれ、摂津(大阪市)の島から江戸前の砂洲に築き移り住んだ。漁の権利や日本橋魚河岸とのつながりとともに、洋上に外敵などの危機の兆候があれば、舟で日本橋川から江戸城へ知らせにといった役割もあったといわれている。また、治水のための神田川の開削の土砂で築地の埋め立てに協力した話もある。難を逃れられる文化には、限られた場所で、小さな家屋が寄り合い、逆境とも思われる危うい環境で、状況の変化を常に見つめ、対処の仕方の知恵を互いに持ち、力をあわせて、時には人助けや貢献を偉ぶらず、そして慎ましやかな住まいで、環境や文化を継続する美意識も感じさせてくれる。

祭りと愛

人々の気持ちを高める催しはいろいろあるが、祭りも佃には驚く。八角神輿が川を舟で渡る姿も見せ場の一つだ。広重の江戸百景に描かれている佃のお祭りの浮世絵には、中央に大きなのぼりが描かれているが、その巨大なのぼりを、今でも危険覚悟で力を合わせて立てる大仕事も注目だ。気合の入れ方も半端ではなく、神輿好きからも畏敬の念の話が聞けるほどの祭りなのだ。空間、時間、仲間の間を知る、マチの伝統と文化があり、間をつなぐ地(マチ)への感謝や愛を感じさせる。
絵の筒石も、同様で、生まれ育ったかつての教え子から、祭りが盛んと聞いている。大学の卒業制作では、その故郷の素晴らしさを現場で自ら見聞き調査し、デザイン作品として表現する指導の役を担当させてもらった。卒業後は故郷に戻り、最初は地場の企業で、そして今は公務員として故郷とつきあっている。描いた姿に変化があるかの問いに、「変わっていない」と笑いの絵文字とともに返信をいただいた。多分、学生時代に見直した以上にマチへの愛を高めて、様々な体験や出会いを通しながら、知恵を磨いているのだ。

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから再掲載しました。
(2015年10月08日の過去記事より再掲載)

著者について

小澤尚

小澤尚おざわ・ひさし
国内や外国の現地でのスケッチとともに、昔の姿の想像図や、将来への構想や設計の図も、ハガキに描き続け、ハガキをたよりに、素晴らしい間の広がりを望んで活動。2004年から土日昼は、日本橋たもとの花の広場で、展示・ライブ活動を行ってきた。 東京藝大建築科卒、同大学院修了。(株)環境設計研究所主任を経て独立し、(株)小沢設計計画室を設立し、広場や街並み整備も手掛けた。宮城大学事業構想学部教授(1997~2013)を経て、設立した事務所のギャラリー・サロン(ギャラリーF)を日本橋室町に開設・運営。2021年逝去。

連載について

建築家・小澤尚さんによる連載「よいまち、よいいえ」。 「いえ」が連なると、「まち」になります。けれど、ただ家が並べばよい、というのものではありません。 まちが持つ連続性とは、空間だけでなく、時間のつながりでもあります。 絵と文を通じて、この関係を解いていきます。