びおの珠玉記事

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火の話 その1 火の獲得と火離れ

※リニューアルする前の住まいマガジンびおから珠玉記事を再掲載しました。
(2011年11月27日の過去記事より再掲載)

炎

2011年は、日本のエネルギー問題について大きな転換点となったことは間違いありません。人間が使うエネルギーとして、原始的でありながら身近な「火」のことを、何回かにわけて、あらためて見直してみます。

7つのエネルギー革命

文明学者 アンドレ・ヴァラニャックは、人類の発展にともなうエネルギー革命を以下の7つに定義しました。

1 火の獲得と利用
2 農業牧畜
3 金属
4 火薬
5 石炭・蒸気機関
6 電気と石油
7 原子力とコンピュータ


火は人類が使い出した最も古いエネルギーといえます。

調理、暖房、灯り、獣避けなどに使われるとともに、宗教的儀礼にも用いられてきました。
人はまず火を獲得し、その火を使って金属加工や火薬、蒸気機関といった革命を生み出してきました。
一方で、生活の身の回りのさまざまなところから、火は姿を消し別のものに置き換えられていっています。
火と人は、これまでどのようにつきあってきたのでしょうか。そして、これからはどうつきあっていけばいいのでしょうか。

火を獲得する

人が火を使い始めたのはいつごろか、正確にはわかっていません。北京原人の暮らした洞窟に焚き火の後があったり、クロマニヨン人が火打石を使っていたことなどがわかっています。現生人類以前から火を使い、発火方法も持っていたことから、人類発祥時には火はともにあったといっていいでしょう。

もっとも、ライター一つですぐに火がつくような、手軽な発火方法を手に入れるまでには、長い年月がかかっています。

火おこしというと、弓きり(摩擦)によるものを連想する人も多いでしょう。あれはやってみるとわかりますが、コツを掴まないとなかなか火がつきません。材料が乾燥していて、コツをつかんでいれば、結構早く火がつくのですが、それでも簡単な作業ではありません。

比較的原始的な発火方法は他にも、打撃(火打石など)、圧縮(燃えやすい材料を円筒にいれ、ピストンの圧縮で温度をあげて着火する)、光学(凸レンズや凹面鏡による太陽光の集中化)などがあります。他には、化学(分離型マッチ等)や、電気(ライター等)が最近の発火法として定着しています。

圧縮法はかつて東南アジアで分布していましたが、ヨーロッパには普及しなかったようです。
凸レンズの着火は、幼少期にいたずらをした覚えのある人も多いかもしれません。凹面鏡での着火としては、オリンピックの聖火が有名ですが、かつては中国でも使われていた文献が残っています。

マッチの火

1800年代初頭にマッチが発明された当初は、黄燐マッチとよばれ、どこで擦っても着火するタイプのものでした。これは危険性が高かったため、箱に側薬をつけた分離型の安全マッチが登場します。

とはいえ、どこで擦っても火がつくマッチのニーズも引き続きあり、黄燐よりも毒性の少ない硫化燐マッチが開発されます。昔の映画等で、マッチを手近なところで擦ってタバコに火をつけるシーンがあります。日本で仏壇などにそなえてあるマッチで真似をしてもさっぱりつかないのは、こうした違いによるものです。

マッチは、それまで火打石などで火をつけていた発火法に比べると手軽で、大きく普及しました。その後、発火石を使った摩擦着火によるライターが登場し、さらに電気による熱やスパークで着火するライターがあらわれました。

家庭にある石油ストーブ、ファンヒーター、ガスコンロや給湯用のボイラー等の燃焼機器の着火は、ほぼすべて電気的な方法によるものです。先人の使ってきた摩擦法に比べると、ずいぶん簡単に火が手に入るようになりました。

火を消す技術・消さない技術

火は便利なエネルギーである反面、制御できなくなれば、破壊のエネルギーと化してしまいます。
日本でも過去にさまざまな大火がありました。応仁の乱では、京都のさまざまな文化財が消失したといわれていますし、「火事と喧嘩は江戸の花」などという言葉もあるほどです。火災を防ぐために、燃焼機器や、それを用いる建築物等には、さまざまな防火に関する規制がありますが、残念ながら、今でも火災事故はなくなっていません。

だからこそ、火をつける技術に対する、消す技術も必要です。ライターやガスコンロなどは、燃料の供給を止めたり、蓋で酸素を遮断することで火を消すことができます。これは当たり前のようにみえますが、消す技術をともなって、火が生活のなかで一気に普及したといえるでしょう。

一方で、「消さない技術」に長けた民族もいます。インド東部のアンダマン諸島で暮らす人々は、長らく発火法を持たなかったため、自然に入手できた火を消さないための技術に長けました。薪を絶やさず、火をいつも気にかけ、移動中は燃え木を携行し、しばらく留守にするときも、燻り続けられるように薪を積み上げて出かけるというスタイルです。

火を起こすこと以上に、火を消さないことは大変かもしれません。彼らにとって火は生活そのもので、それが消えるということは、生活そのものが消えるといってもいいことなのかもしれません。

火は、単に照明や調理といった要素だけでなく、精神的な支え、シンボルとしても用いられたのです。

炎

火はただのエネルギーではない

火の精神性を現代に伝えている象徴的な例が、オリンピックの聖火です。ギリシアの神々が住むといわれるオリンポス山で太陽光によって点火された火が、リレーによってオリンピックの開催地まで運ばれます。ギリシアがオリンピックの発祥の地であることだけでなく、ギリシア神話において、主神ゼウスが火を人々から取り上げ、プロメテウスが再び人類にもたらしたとされている火を、神聖なものとして扱っているのです。

日本神話では、イザナギとイザナミの間に生まれた火の神カグツチが有名です。カグツチの火で出産時に火傷を負ったイザナミは死んでしまい、イザナギはこれを怒ってカグツチを斬り殺し、その血からまた別の神々がうまれたとされています。

火は生命の源と考えられ、分娩の際に火を灯し続ける民族も、世界各地にあります。火の生命力による多産を祈念し、結婚式においても火は多用されてきました(キャンドルサービスは、その名残でしょうか)。

古代中国に端を発する五行思想では、木火土金水という5つの行という概念があります。
四大元素として「地水火風」という考え方もあり、火が物事を構成する重要な要素だと考えられてきたことがここにも見えます。

火は生命力であり、元素でもあり、神でもあったのです。

家庭の中の火はノスタルジーになるのか

こうして、人類にさまざまなものをもたらしてきた火ですが、生活のなかで使われるシーンが減ってきています。
オール電化住宅に暮らしていて、タバコも吸わないという人の家庭には、ひょっとすると一切の発火装置がないかもしれません。
調理ではガスのほうがおいしい、いやIHヒーターは安全で便利だと激しい戦いが続いています。一時は勝負あったかに見えたほどに、電気の普及率があがってきていましたが、この先どうなるのでしょうか。

近年において、火はことごとく他のエネルギーにその座を奪われています。

北海道小樽運河のガス灯

写真AC:北海道小樽運河のガス灯


かつて街灯はガス灯が主流でしたが、もはや完全に電気に置き換わっています。
蒸気機関車は電車に変わり、自動車にも、内燃機関から電力によるシフトが見えてきました。
当たり前だったはずのものが、いつのまにか変わっている、ということを、私たちはここ数十年でたくさん見てきています。
そうした歴史を知るからこそ、火を残そうという考えがあるのかもしれません。
これは決してノスタルジーだけではありません。火の持つさまざまな(恐怖も含めた)機能を、私たちは知っているのです。

ガスと電気の追いかけっこ

日本では明治5年に街灯用にガス灯があらわれ、それに遅れて明治11年にアーク灯が出現します。街灯は当時ガス灯も電気灯もふくめて「ガス灯」と呼ばれるほど、ガスが先行していましたが、明治30年代には電気灯が立場を逆転し、ガスは照明から家庭の調理に方針転換をします。
調理の場では、当時多く使われてた炭火に比べて手軽なガスは人気を博しました。

かたや電気はというと、フィラメントの改良によって電灯用の電力が大幅に低下し、余った電力の販売先に、ニクロム線をもちいた調理家電に進出します。電気ポットや電気釜など、当初は単に加熱するだけの機械でしたが、やがて電子制御が進み、今のような家電になっていきます。

照明は完全に電気の勝利となり、調理器具でも電気の勢力が非常に大きくなりました。
冷暖房分野でも、ガス器具とエアコンの普及率には大きく開きがあります。

一方で、東日本大震災に端を発したエネルギー危機問題で、電力に支えられた生活のもろさを多くの人が感じたことでしょう。

もはや電力がなくては我々の生活はなりたちません。しかし、電力を使わなくてもよいものには、別のエネルギーを使っていくことも、エネルギー問題に対する一つの回答です。

COP(成績係数・投入したエネルギーに対して得られる結果)では、エアコン暖房が有利なのですが、薪を使った暖房は、カーボンニュートラル(CO2が燃焼で排出されるが、木がもともと固定化していたものなので、差し引きゼロと考える)であることや、前述のとおり、火が身近にあるという、精神的充足、生活の楽しさが得られます。

「火」特集の次回では、現代の生活の中で使える「火」を、もう少し詳しく取り上げます。