ブックレビュー

パンクに語る住まいの改装体験記『リフォームの爆発』町田康 (著)

リフォームの爆発

町田康が好きです。芥川賞作家なのでそれなりに有名かもしれませんが、僕にとってはパンクバンド「INU」のボーカリスト、町田町蔵です。

その町田康(マチーダ)が、自宅のリフォームを行った際の記録が出版されました。
(リノベーションでしょ、と突っ込みたくなりますが、『リノベーションの爆発』よりも『リフォームの爆発』の方が売れるタイトルですよね)

とはいえ、ただの工事記録ではないのです。

絶対に真理を語らぬよう、細心の注意を払う、などと大上段に構えた前書きに、果たしてこの本から何が得られるのか。
「期待と不安」とは、まさにこんなときに使う言葉です。

細長いダイニングキッチンで食事する苦しみと悲しみ。
ダイニングキッチンの寒さ及び暗さによる絶望と虚無。

こんな家は嫌だ、とリフォームにとりかかるのですが、その前フリも長い。くどい。だけどわかる。家のことって、小さなことでも心配になってしまうものです。

壁のなかの重要なもの。そはなんぞ。申し上げる。断熱材である。

断熱材の説明はさんざんいろいろなところでしたり、されたりしましたが、こんな表現はとんとお目にかかったことがありません。
その重要な断熱材が、なんと、マチーダの家にはその断熱材が入っていなかったのです。

「っていうか、莫迦なんだよ。いまどき断熱材のない家に住むなんて、どう考えても莫迦でしょ。だからあいつの文学は駄目なんだよ」
「そりゃそうだよな。断熱材もなしに文学なんてできるわけがない」
「当たり前だよ。おい、ちょっと石をぶつけようぜ」
「いくらなんでも、そりゃまずいだろう。奴にも人権ってものがある」
「いいってことよ。断熱材のない奴に人権なんてあるものか」

これはマチーダの妄想です。妄想で彼は石に当たり、大怪我をする、いや、死ぬのです。そうならないためにも断熱材を求めるのです。
恐る恐る断熱材を依頼する小心なマチーダと、つれない態度で対応する工務店の担当者。マチーダはまたしても妄想に走ります。しかし、すぐに断熱材が納入されてきて、マチーダは急にそのロジスティクス能力に驚愕します。まさに一喜一憂。

見積り。これもまた、素人にはわかりにくいのですが、マチーダは、これをもっとわかりにくくしてくれます。わかりやすくしようとしているんだろうけれど。

うどんでいうと、だし工事一式100円、うどん工事一式80円、具工事一式100円、となっていたのが、さらに細かくなって、
だし工事
かつおぶし5グラム単価金額25円、だし昆布5グラム単価9円金額45円…

など延々と書きながら、結局見積りというのはそういうことじゃない、見積りはフィクションであり、無碍に変更可能だ、などというのですから、まじめに見積りをするほうはたまったものではありません。

……どう、ついてこれてますか?

さて、先日とある工務店の社長と話をしていたら、お客さんは、職人を怖いと思っているらしい、と聞きました。
強面の人もいるものの、無口なだけで真面目な職人、というのが一般的な感覚かと思いますが、マチーダはこれもきっちり誇張してくれます。

なんとなれば、ふたりは常に暴力的気配を発し続けていたからである。
もちろん、それはあくまでも気配であって実際の暴力ではない。しかし、寄らば斬る、という感じは確かにあって、挨拶なんかとてもじゃないができゃあしない、という感じで、つまり彼らは暴力的に閉じていた。

だまって仕事をこなす人を相手に、「暴力的に閉じている」とは、なんということでしょう。
断熱材を入れずに文学をやるからだ、と石を投げたくなるではありませんか。でも、ここに登場するふたりも、仕事はきっちりやっていくのです。

マチーダは珪藻土とビニールクロスを天秤にかけ、予算の都合でビニールクロスを選びます。まあよくあることです。けれど、そのよくあることでさえ、彼にかかればこうなるのです。

つまり私は安さに負けた、言い換えれば貧しさに負けた、ということで、一部の富裕層は美しい左官仕上げの壁面の部屋で薄目を開けて極上のスコッチウイスキーを舐め、シガーをくゆらせて交響曲なんかを聴いているのだが、私のような大多数は、ビニールクロスに囲まれた家で知らないうちに健康を害し、半狂乱でようやっと生きているのであり、これこそが格差社会というものであって、……

引用するのもなんだか心配になってきました。
こんな妄想をしているけれど、結局、「途轍もないクロス職人たちの完璧なクロス工事」が行われて、部屋がぐっと部屋らしくなるのです。

いよいよリフォーム工事は終了しますが、もちろんクリーニングも一筋縄では受け止めません。

彼らは掃除をしながらおしゃべりをしていたが、その内容を私はまったく理解できなかった。日本語であることには間違いがないのだがなにをいっているのか、鳥の囀りのような、花がポンとひらくような音声の献酬だった。指揮命令系統はないようだった。

このあと、とても和気藹々といっしょに片付けをするのに、ですよ。

職人にビビっては褒め、ビビっては褒め、の繰り返しなわけですが、最後に救いがまっていました。

住まいによって人は変わる。よき方にも悪しき方にも。

いいこと言うじゃないですか。そう、みな、よき人になるために、よき家をつくるのです。

夕日を浴びて家々が立ち並んでいる。そしてその数だけ不具合がある。そしてそれはいずれ修正される。素晴らしいことだよね。

またまたいいことを。泣きそうになった。悪しき家も、リフォームによって、よき家にすることが出来るのです。それを、一応はマチーダが身をもって試しました。

ありがとうマチーダ、あなたの経験と妄想は、これからリフォームをする住まい手、作り手をともに救うことでしょう。