森里海の色
木版画が彩る世界「サカキ」

ツツジ目の常緑樹であるサカキは、玉串奉奠に使われる、神事にはかかせない樹です。


 
サカキの語源には諸説あるが、「境の木」でサカキ、というのが気に入っている。神の木たるサカキの境とは、すなわち神の領域と俗世界との境、なのだろう。ただ、実際には日本の神様は、そんなに厳密に境を作っていないと思う。

代表的なのは鳥居だ。一応ここから入り口だよ、というシンボルにはなっているが、物理的境界としては、だいぶ曖昧だ。そもそも、閉じることができない。キリスト教の教会や、イスラム教のモスクなどは、建物に扉がついて、内外がはっきりわけられている。邪悪なるものはそこから入れない、のだろう。

日本の鳥居もまた、神の領域の境になって、おそらくそういうものを寄せ付けない、という役割があるのだろうけれど、物理的にはツーツーである。

これは宗教施設に限ったことではなく、欧米と日本では、建物と外部との境に対する感覚が違う。欧米のドアは内開き、日本は外開きだが、内開きというのは、外部からの侵入に備えてかんぬきをかけたり、重しを置いたり、という外敵防御の姿勢が出ている。これに対して、日本のドアは外開き、外敵侵入よりも、開放して外に繋がる、というイメージが強い。

…というのも、昔の話になってきた。日本の住宅の多くは、外界と、物理的にも精神的にも、繋がることを拒むのが主流になっているように見える。境目がはっきりしなければ財産の管理ができない、という理屈はわかるが、純和風の家の横に地中海のような家が建つ、という、地域の風景・住文化さえも、境目から全く変わる、ということを助長していいものだろうか。

そうした、住まいの「境」をどうにかできないか、という取り組みに、ここのところ関わり続けている。昔は良かった、とは違う温故知新を。

文/佐塚昌則