森里海の色
木版画が彩る世界「スミレ」
宝塚歌劇団の歌う『すみれの花咲くころ』、ちょうど今頃の季節です。
今回の版画はスミレ。ちょうど可憐な花が咲く時期だ。けれど、近隣を見渡すと、パンジーやビオラといった、外来のスミレの仲間はよく目にするものの、スミレはめったに見かけない。パンジーが派手でスミレが地味だから見つけられない、のかもしれないが、スミレは野生種だから、野に咲くのが似合うのだ、きっと。
夏目漱石が、「菫程な小さき人に生れたし」と詠んでいる。漱石ほどの人物が何を、と思ったが、目立たずにいたい、という意味では無いようだ。
漱石の作品に『文鳥』がある。美しく愛おしい文鳥の様子と死を描いたものだ。その中で、文鳥が餌を食べるときの音の表現に、「菫ほどな小さい人が、黄金の槌で瑪瑙の碁石でもつづけ様に敲いているような気がする。」という表記がある。
菫ほどな小さい人、というのは、ただひっそり目立たない、ということではない。今風に言えば、「中の人」になるのか、あるいは、魔法のように事態をなんとかしてくれる「小人」のようなものかもしれない。いや、そんなに陳腐なものではないか。しっかりと注意をしなければ見過ごしてしまうような美に身を捧げる、そんなあり方を言っているのだろう。
漱石といえば、「I love You.」を「月が綺麗ですね」と訳した、という逸話がある。これは漱石自身が訳したのではなく、英語教師時代の訳例として挙げたのだ、といわれているが定かでない。けれど、「菫ほどな小さきひと」に通じるような美しさがあって、この説を信じたい。
文/佐塚昌則