はじめてのこよみ暮らし

七十二候をはじめて過ごす「家族」の記録

井伊谷宮の節分祭

しほと太郎は大河ドラマ「おんな城主直虎」で一躍有名になった「井の国」こと井伊谷の井伊谷宮に来ています。井伊谷宮は後醍醐天皇の皇子で、南朝側として戦った「宗良むねなが親王」を祭る神社です。

太郎 井伊谷宮は一度来たかったんですよね。
しほ なんで?
太郎 ほら僕の家の近く、馬込川沿いに宗良親王上陸地の碑があるじゃないですか。
しほ あったっけ?
太郎 ありますよ。南北朝時代に宗良親王は浜松に漂着して、それから東海・北陸・信濃・関東で暴れまわり、結局志を遂げないまま死んじゃいます。そんな貴種流離の皇子であり、かつ北朝歌壇へのアンチテーゼとしての和歌アンソロジー『新葉和歌集』を編纂した歌人でもある宗良親王の墓を一目見たかったんですよ。
しほ へー。和歌も作ったんだね。

井伊谷宮の節分祭

井伊谷宮の本殿

しほと太郎が来たときにはすでに紅白幕で節分祭の舞台が組みあがり、人だかりができていました。

しほ 町の中心部でもないのにすごい人の数だね。
太郎 そうですね。みなさん、遠くからも車で集まってきたんでしょうね。

天のはじ矢と天のはじ弓

年男が桃の弓で葦の矢を射る。

そして節分祭は、年男が桃の弓に葦の矢をつがえ、観衆へ矢を放つ神儀からはじまりました。

しほ 豆を撒くだけじゃなくて、節分には矢を放つこともするんだね。
太郎 節分の豆撒きはもともと追儺ついなという宮中における鬼払い行事ですからね。よく知られているのは柳の弓で葦の矢を射る追儺式ですが、井伊谷宮では使っている木の種類が違いますね。
しほ かたちをちゃんと守っているんだね。

年男が矢を放ち終えると、紅白幕の舞台に立っている方たちが福豆や餅を撒きます。

しほ わ〜いっぱい飛んできた〜! あれ? お餅も撒くんだね。うわ、痛い! ちょっと太郎、たんま。
太郎 たんまって、編集長、取材しないと!
しほ わ〜! なかなかキャッチできないね、距離が遠いのかな!
太郎 ここまで飛んでくるのはお餅だけですね。それにしても「鬼は外、福は内」などの掛け声はしませんね。
しほ ふう。そうだね。なんか理由があるのかな。
太郎 うーん、地域を治めている大名が九鬼家など鬼のつく名前だったり、鬼を祭る神社だったりすると豆撒きの掛け声が違うことがあるようです。これは推測にすぎないのですが、井伊谷出身で徳川四天王の一人となった井伊直政が「井伊の赤鬼」というあだ名だったから「鬼は外」の掛け声を言わないのかもしれないですね。
しほ それ、ほんと?
太郎 いや、あくまでも推測です。
しほ やった、収穫あり〜!

しほ編集長はお餅をゲット。

豆撒きの舞台は、終わるとすぐに解体されていました。帰りにしほと太郎は宗良親王のお墓へ行きます。

太郎 あ、ダメだ。
しほ どうしたの?
太郎 皇族のお墓なので宮内庁管理下ですね。立ち入りできません。
しほ 関西や関東じゃない浜松に宮内庁が管理しているところがあるなんて不思議だね。
太郎 歴史の不思議というか、南北朝時代の人たちがそれだけダイナミックに日本列島を駆け巡っていたということですね。

宗良親王の墓

あなたの地域の節分はどんなことをしますか? 追儺はどんな掛け声で、何を撒きますか?

赤鬼へ豆撒く女城主かな 林甲太郎