森里海の色
木版画が彩る世界「スカシタゴボウ」

暦の上では夏を迎えました。早いところはもう田植えが始まっています。今回の版画、「スカシタゴボウ」のように、田の畦道(あぜみち)に咲く花も、水田の風景を構成しています。


 
米、受難の時代である。アメリカではなく、コメのことだ。

家庭での消費金額(総務省家計調査)で、パンに負けるようになってもう数年立つ。
最近の糖質制限ブームでは悪玉扱いもされている。
一応今年で終わることになってはいるが、減反政策なるものもあって、なんだかみんな、米に恨みでもあるのか(繰り返すが、アメリカではなく、コメだ)。

それでも(少なくとも僕ぐらいの世代の)日本人は、米に単なる主食以上の精神的なものを投影している。田植えに直接従事する人口はいまや僅かだが、それでも田植えを見ると、何かが始まったという感慨を禁じ得ないし、新米が出てくれば心躍るのだ。
水田はもともと、多様な生物の宝庫だった。

今はもうなくなった実家の周りにあった田んぼで、カエルやらカブトエビやらザリガニやら、いろんな生き物を捕まえて遊んだ。今にして思えば、人んちの生産現場に勝手にザブザブと入っているのだから本当にゴメンナサイなのだが、とにかく田んぼから、いろんなことを学んだ。

いまでは、無農薬で田んぼをやっているとザリガニが発生して、周囲の田んぼに「迷惑をかける」ので肩身がせまい、という。そういや、畦道もずいぶんスッキリしていて、農薬サマサマ、なのかもしれない。

畦の植物が多様なのは、人が草を刈り、そのことでいままで日が当たらなかった小さな植物にも日が当たるようになるからだという。そういう風景を見たいから、農薬使わずに草を刈ってよ、なんていうのは当事者性のない無責任な言葉ととられても仕方がない。

けれど、その風景は後世に残す価値のあるものだと思う。

文/佐塚昌則