森里海の色
木版画が彩る世界「ヤブラン」

森の足元に咲くヤブラン。彼らには彼らの「生きやすい場所」があります。


 
ヤブランは、森林の下草として自生し、藪のようなところで、蘭にに似た花を咲かせるところからその名がつけられた。
森林の下草というのは、行ってみればわかるが、それほど多く日は当たらない。けれど、そういう日があたらないところを生存の場所に選ぶ、というのは、植物の「ニッチ戦略」である。
昨今だと「ニッチ」は、経済用語としての「隙間市場」を指す用語として知られるが、その由来となったのは生物学上の(ヤブランのような)「ニッチ」である。生物学のニッチも、元をただすと、建築で、装飾品や小物などを飾るための壁面のくぼみのことを指している。ようするに、隙間、へこみ、である。

その隙間で、どんな風に生きるのかが、動植物の、そして経済上の「ニッチ」である。日陰なら日陰の生き方がある。ヤブランは、そういうニッチを選択した植物だ。それぞれの場所には、そこに適したやり方がある。

ところが、経済上では、「グローバル」が掛け声になった。「世界基準」がよいことであると喧伝される。建築でもそういうことが起きてきている。ことあるごとに、世界のどこかの基準と比較され、日本がどう劣っているかが語られる。ここは日本だぜ、という反論は、ともすれば反知性主義的扱いを受ける。

そういえば、ヴァナキュラー建築という言葉をあまり聞かなくなっている。土着的、口語的、ある場所のある文化に固有の「ヴァナキュラー」は、社会が均質化してくると失われてしまう、ということなのだろうか。

この夏の異常といえる猛暑は、そんな風潮に拍車をかけたようだ。外界とは遮断して人工環境をつくるのがよい。報道番組は、ためらわずにエアコンを使えと宣う。それでも地域の気候は一色ではない。
「何がその場所にあっているのか」ということを、植物からはたくさん学ぶことが出来る。

文/佐塚昌則