森里海の色
柿木村の一輪挿し
「マツヨイグサ」
晩夏、朝散歩の川土手に待宵草咲いていた。
宵待ち草と言うほうが何だかしっくりするのは
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ
今宵は月も出ぬさうな
の竹久夢二の世界を知る世代だからなのだろう。
淑やかなほの黄色の花弁はあくまでも寡黙であり、あれだけ暑かった夏を既に記憶の彼方に追いやり足下に迫る秋の気配に侘しさを纏う女心を想わせる。
若い頃は赤い薔薇や華やかな花束が心をときめかせた。
今は雄弁な花より寡黙な花が好きだ。
年を重ねるにつけ人は侘び寂びの世界に陥っていくのだろう。
其のことが良いのか悪いのかは分からない。
いつまでも尖がって生きて行きたいとも思うし、そろそろ丸くならなくちゃと
思ってみたりもする。
今夏のロックフェスティバルのボブ・ディランの話題を聴くにつけ待宵草を眺めながらそんなことを想い巡らせるのだ。