季節をいただく

臭木の葉

くさぎ・たけのこ

雨上がりに山笑う。淡い濃い、深いみどりにモコモコ繁る。タラの芽、山椒、フキ、ヨモギ、野のめぐみに、あれやこれやと手を入れる。若いタラの芽は、蒸してそのまま。山椒の木の芽は、醤油麹に寝かせて香りをうつす。フキは塩で板摺りして色よく茹で上げ。ヨモギは淡い若葉を摘み取り、湯がいて水にさらして軽く絞って冷凍、餅つきの時期にヨモギ餅。野山の旬は、ほんのひととき、年ごとに早まる季の巡りは、待ったなし。しばらく前、フキノトウが土から顔を出していた所は、葉に覆われ一面の緑、フキの葉とアマガエルは木漏れ日に揺れていた。

蓮葉と青蛙

出先にて友人から、掘りたてのタケノコを渡された。手にしただけで瑞々しさを感じる。雨後のタケノコが伸びる勢いは驚くほど速く、大地から水を吸い上げ天に向かってまっすぐ伸びる。土から掘り上げられた瞬間から伸びる力が断たれ、あっという間にアクが強くなる。漢字で「筍」、たけかんむりに旬、掘ったその場で釜茹ですることもある。持ち帰るまで時間がかかるので、立ち寄った先でオーブンに入れて丸焼き。包丁を入れると湯気が上がり、柔らかい先は淡い甘さ、胴にわずかに残るえぐみもそのまま頂いた。

筍

裏山を歩いていると、くさぎの若葉が目にく。真夏には、白い細い花が艶やかな甘い香りを放ち、周りを大きな黒いアゲハがゆったりと飛び交う。やがて赤紫の実がなり、染め物にも使われる身近な木。「臭木」と書かれ、臭いが強く食べられるとは思っていなかったが、屋久島の森を案内して頂いた写真家から、南九州では春の知らせと伺った。その若葉を臭いと共に食べ、身体も森の一部になるとのこと。

臭木

若葉を塩もみ茹でてアク抜き、タケノコと共に味噌汁と頭に浮かんだが、頂いたタケノコはすでに食べてしまった。くさぎの小さな若芽を摘みながら、胡麻あえにすることにした。湯がいて水にさらし軽く絞る。アクの少ない芽なので、重曹も塩も使わない。頂きものの金胡麻と白胡麻をすり鉢で軽くあて、胡麻の香りが立つと醤油麹を加えて、ざっくり擂る。手元にあったブドウ酢と合わせて、湯がきたてのくさぎの芽に和える。醤油麹は、醤油と麹を合わせて十日ほど寝かせたもの、お酢は、穀物酢よりも果実酢の方が軽くてあっている。口に運ぶと、ほろ苦さとあの臭いが広がる。ほんの半時間ほど前まで枝先にあった芽が、身体の一部になった。

臭木の葉

花粉の時期を乗り越えた後、油断して甘味の虜になってしまったこの身体。甘さの誘惑から脱するには、野生そのままの、苦さ、辛さ、えぐみ、酸味などを味わうこと。味覚が満たされるのか、しばらくは、甘いものを求めない。野山のめぐみが行き交う時期、身近な市が各地で催され、美味しいものが絶えない日々が続きます。間もなく夏のはじまり、山のみどりに、淡い香りをたどると藤の花、暑い日々が早く来ることを知らせている気がした。

藤の花

スーク緑の10日間 4/27~5/6 新城 鳳来寺山表参道 旧門谷小学校
http://www.small-schttp://motoisekkei.com/gallery/674hool.com/

くさぎ、タケノコ、タラの芽、山椒、フキ、ヨモギ:(遠州)。金胡麻。白胡麻。醤油麹:自家製。ぶどう酢:バルサミコビアンコ(イタリア)。器:伊集院真理子(平塚)

山笑ふ

著者について

中小路太志

中小路太志なかしょうじ・ふとし
大和川が育む河内生まれ。幼い頃は田畑に遊び、野菜の虫取り、薪割り、風呂焚きに明け暮れ、炎と水を眺めて過ごす。潮騒、やまびこ、声など、耳に届く響きに趣き、コンサートホールの建築や音楽、舞台、展示制作に携わる。芸術と文化の源を求め、風土や人の営みから、言葉とからだ、食と農に至る。食べることは、天と地と人が繋がること。一粒の種から足るを知り暮らしを深める生活科学(家政学)を看護学校にて担当。天竜川流れる遠州在住。