季節をいただく

あけび

はるか南の海にて産声をあげた台風が大きくなって週末ごとにやってきた。
気候は大きく変動しつつあり、人が記録するようになったわずかな期間でも、梅雨前線や台風の進路や時期が、「例年」との言い回しが通用しなくなるほどになっている。大きな台風が来るたびに、荒波にもまれた海の中は新たな命が育まれ、雨風に洗われた山は、落葉の木々が葉を落とし、森の奥まで光が差すようになる。

アケビ

季節のうつろい、山を歩くと少し乾いた風が抜け、空を仰ぐと心地よい。森のふちを、ぐるりとマントのように覆うつるものたち、緑の葉を広げるつたくず、緑から黄、橙に輝くカラスウリに、表情のある赤紫のエビ色のエビヅル。それぞれに光を求めて競い合い、日を追うごとに彩り鮮やかに目を楽しませる。
日の入りを早く感じた道すがらのエビズル、葉裏と茎にある産毛が夕日に照らされ輝いていた。しわの寄った実をひと粒、口に運ぶと程よい酸味と甘さ。朝夕には上着も羽織るようになり、秋の深まりからいよいよ冬支度。

長雨のあけた朝、愛らしい鳥の声を追うと、木々の緑の中に、くっきりと見開く白いまなこ、早くもメジロがやって来た。
忙しそうに枝から枝へと飛び渡る姿の先に、淡い紫の小さなアケビがひとつ口をあけて熟れている。背伸びして摘み、真っ白い実をそっとはずして口に入れると優しい甘さ。いくつでも食べてしまいそうになりながら、口の中に踊るたくさんの種をよりわけて野に還した。
5枚の葉を持つゴヨウアケビ、葉の形をたよりに蔓を上にたどると、いくつもの実が成っていた。脚立があれば届きそうな木の枝には、数日で開きそうな見事なアケビが5つ。手が届かない高さは、鳥たちの領域と眺めていることにした。数日後に通りがかると、その枝は半ばから折られて痛々しい姿になっていた。
あけび

毎年、アケビの時期には、山を歩きながら甘さを、持ち帰った皮は炒めて味噌や醤油麹和え、蒸しての酢の物にも。
栽培する農家が市場で売っている地方もあり、ひと昔前は、手間ひまかけて種から油を搾っていたとのこと。自然の恵みを余すことなく使う知恵。
アケビもエビヅルも、熟れた頃に鳥たちに食べられては、遠くに種を運ばれる。その種には生命を受け継ぎ広めるしくみが刻まれている。
人の暮らしも、そのめぐりの中で生かされていることを思いながら、アケビやエビズルを待ちわびている。

あけび

著者について

中小路太志

中小路太志なかしょうじ・ふとし
大和川が育む河内生まれ。幼い頃は田畑に遊び、野菜の虫取り、薪割り、風呂焚きに明け暮れ、炎と水を眺めて過ごす。潮騒、やまびこ、声など、耳に届く響きに趣き、コンサートホールの建築や音楽、舞台、展示制作に携わる。芸術と文化の源を求め、風土や人の営みから、言葉とからだ、食と農に至る。食べることは、天と地と人が繋がること。一粒の種から足るを知り暮らしを深める生活科学(家政学)を看護学校にて担当。天竜川流れる遠州在住。