- 2021年06月06日更新
仙之助編 四の四
一八六六(慶応二)年の正月が明け、梅が咲き、桜がほろびかけた頃、仙太郎からの便りが届いた。ユージン・ヴァン・リードの消息もわからないままで、仙之助からは便りをするきっかけがなかっただけに、待ちに待った消息であった。
病気療養のため、漢方医の実家に戻っていることが短く記されていた。
仙之助は、手紙の筆跡が見慣れた仙太郎のものであることに安堵した。便りをしたためることができないほど、衰弱している訳ではないようだった。
だが、仙之助は自分自身もそうであるだけに、将来を見込まれて養子となった仙太郎の心境を思うと胸が張り裂けそうになる。どれほど悔しいことだろう。
仙之助も本格的に英語の勉強をする機会に恵まれないまま、教本を読み返すばかりの鬱々とした時を過ごしていた。神風楼にたまに登楼する外国人と簡単なやりとりをするのに不自由はなくなっていたが、それでは到底満足できない。
桜が散り、若葉が芽吹き、梅雨が巡ってきた。
梅雨の合間のよく晴れた日のことだった。歩く人もまばらな日中の港崎遊郭を見覚えのある風貌の異人が神風楼に向かって歩いてくるのが見えた。
仙之助は、思わず駆け出した。
一年半前に別れた時よりも日焼けしてたくましくなったヴァン・リードの人なつこい笑顔があった。
「ミスタ・ヴァン・リード、お元気ですか」
英語で話しかけた仙之助にヴァン・リードは相好を崩して日本語で答えた。
「タッシャデアッタゾ、オヌシモタッシャデアッタカ」
「はい、元気です」
「オマエノトモダチハドウシタ?」
少しの間をおいて、仙之助は答えた。
「はい、仙太郎も元気です」
「エドノジャパニーズスタディハドウシタ?」
「アサクサ、ファイヤー、もうジャパニーズスタディは終わりです」
「ソウカ、タイギデアッタナ」
ヴァン・リードの日本語と仙之助の英語の不思議な会話が続いた。
「オマエノエゲレス、タッシャニナッタナ」
「私はヴァン・リードの教本で勉強しました。ミスタ・ヴァン・リードの日本語も上手です」
「セッシャハ、タビノミチズレガジャパニーズデアッタ」
「どういうことですか?」
「長い物語だ」
と、それだけ英語でぽつんとつぶやくと、仙之助の頭をなでた。
背が高くなり、青年のたくましさを備えたことを実感して、ヴァン・リードはさらに表情をほころばせた。仙之助は満十五歳、数えで言うならば十六歳になっていた。