山口由美
2022年07月10日更新

仙之助編 八の八

ラニが星の輝く夜空に向かって腕を伸ばし、手のひらを広げた。
「それは何の合図ですか」

仙之助は興味津々にたずねた。
「俺たちのCompass(羅針盤)だ」

航海には海図と羅針盤が必要だと、仙之助はダニエル船長から教わった。

上級船員の船室で見せて貰った羅針盤は、丸い小箱の中に星のような図が描かれたもので、中央で針のようなものが揺れていた。それと、ラニが夜空に向けて開いた手のひらにどんな共通点があるのか、さっぱりわからなかった。
「大昔、俺たちの祖先は、こうして星の位置を測って、島の位置を見つけて航海したと、俺の祖父さんから教わった。でも……、今はハオレ(白人)の羅針盤があるのだから、こんな時代遅れの技術はいらないだろうと言って、誰にも教えずに、祖父さんは死んでしまった。ハオレ(白人)が、俺たちの神様も踊りも否定した時代のことだ」
……
「俺は今でも覚えている。祖父さんが時々夜空に向かって手のひらを広げて星を見ていたことを……。だがな、悲しいことに俺は、星で島の方角を……、読むことはできない」

ラニは、じっと自分の手のひらを見つめながら、絞り出すように語った。

スターコンパス

瞳に宿った悲しみを読み取った仙之助は言った。
「ハワイは……Heaven(極楽)ではないのですか」
「ジョンセン、お前は船に乗った時からそう言っていたな」
「はい、ハワイ王国から日本のConsul General(総領事)を任された偉いお方から、そのように教わりました」
「そいつはハオレ(白人)か?」
「ハオレ……、異人のことですね。はい」
「ジョンセン、心配するな。ハワイは花の香りのする風が吹く美しい島だ」
「風……、モアエ・レフアですか」
「そうだ。貿易風という意味だが、レフアはハワイに咲く花の名前でもある」
「レフア……、美しい花なのですか」
「芳しい香りがする美しい赤い花だ。海上を吹く風はハワイの島にも吹き抜けていく。山に当たって恵みの雨を降らせ、心地よい風となって島の西海岸に吹き下ろす」
「ハワイは、風の……島なのですね」
「そうだな。大昔、郵便汽船のように大きな船に乗って、遠い島から航海してきたのが、俺たちハワイアンの祖先だと祖父さんから教わった。大海原の彼方にもっといい島があると信じて、彼らは航海をした。辿り着いたのが太平洋で一番美しく、いい風の吹く島、ハワイだ。Heaven(極楽)だと思ったに違いない。彼らは航海を止めて、大きな船は造らなくなった」

ラニは微笑んで、仙之助の肩を抱いた。

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次回更新日 2022年7月17日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

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