- 2024年04月14日更新
仙之助編 十六の一
岩倉具視欧米使節団の一行、すなわち特命全権大使の岩倉具視、副使の木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳と随員および各省の理事官たちが東京を出発したのは、明治四年十一月十日、西暦一八七一年十二月二十一日のことだった。
一行は横浜に宿泊し、翌日の夕方は、オランダの公使館での祝賀会の後、裁判所にて、各国公使や書記官に正餐をふるまう宴が準備されていた。
正餐に出席するのは、使節の本隊であるお偉方だけだったが、留学生や従者たちも横浜に集まり、家族や親戚と別れの宴を催したから、横浜はどこもかしこも人で溢れていた。
一行が乗船することになったのは、太平洋郵便汽船のアメリカ号だった。伊藤博文が先の米国行きで乗船したのと同じ外輪船である。
山口仙之助には、出発の日程など知るよしもなかったが、横浜の賑わいとサンフランシスコ航路に就航している外輪船が沖に停泊していることから、使節団の旅立ちが近いことを察していた。
仙之助が異人の経営する洋服の仕立屋に仕上がったシャツを受け取りに行ったのは、宴が催される日の午後のことだった。
店の入り口で、自分と似た年格好の青年とすれ違った。
店員から渡されたシャツに袖を通してみようとして、刺繍のネームに目がいった。
「R.Yamaguchi」とあった。
仙之助は、すかさず店員に名前のイニシャルが間違っていると告げた。高い買い物であることから、中途半端な商品を受け取る訳にはいかない。
すると、店員は慌てた様子で、先ほどの客に誤って渡してしまったと言うではないか。
「あのお客も、私と同じファミリーネームなのか」
「はい」
仙之助は、急いでシャツを包むと外に出た。
きょろきょろと通りを見回すと、先ほどすれ違った青年が向かいの靴屋から出てきたところだった。仙之助は慌てて駆け寄って声をかけた。
「あの、先ほど仕立屋にいらした方ですね」
青年は驚いて振り向くと、怪訝そうな表情でこちらを見た。
「突然、申し訳ない。仕立屋の定員が私のシャツと間違えて、お渡ししたというのです。私の名前は、山口仙之助と申します。刺繍のお名前を見て下さい」
青年は、包みの中からシャツを取りだした。
「S.Yamaguchi」とあった。
「失礼ながら、お名前は」
「山口林之助と申す」
「では間違いないですね」
仙之助は、微笑んで「R」と刺繍されたシャツを青年に渡した。