山口由美
2021年10月10日更新

仙之助編 五の七

仙之助はすべてを失ったと思った。

豚屋火事で、養家の神風楼は焼け落ちてしまった。

そして、かけがえのない友である仙太郎が亡くなってしまった。

とりわけ仙太郎のことは、どうしても現実のことだとは思えなかった。

悪い夢を見ているような気がしてならない。とぼとぼと力なく歩く仙之助の後ろから、仙太郎がおーいと叫びながら追いかけてくるのではないか。あの野辺送りはお前を驚かすための悪戯だったと、仙太郎が笑いかけたなら。仙之助は、あり得るはずのない想像をしては、こみ上げる感情を抑えきれなくなって、また泣いた。

出会った頃の仙太郎を思い出す。将来を見込まれて日本橋の大店の養子になっただけあり、頭の回転が速く、本当に賢かった。要領の良さが取り柄の仙之助は、到底かなわない頭の良さをうらやましく思った。だが、そんな秀才の仙太郎が、自分にないものを仙之助に見出して、弟のように接してくれるのがうれしかった。仙太郎がいなかったなら、英語の稽古もはかどらなかったに違いない。二人でいれば何でもできる気がした。海を渡って異国に行っても、怖いものなどないと思っていた。

仙太郎の野辺送りはささやかなものだった。

貧しい漢方医の兄にとっては、それが精一杯だったのだろう。病を得て実家に戻されてから、養家からの音信はなかったのだろうか。跡継ぎとしての未来が見通せなくなれば、実子でない仙太郎は用無しということだったのか。

仙太郎の田舎風景(回想)

仙之助は、自分自身に思いをおよばせた。

神風楼の焼け跡で、異国に行って来いと告げた粂蔵の真意はどこにあったのか。

火事で全てを失った粂蔵にとって、もしかして自分もまた厄介者なのではないか。

不安と心許なさが、仙太郎を失った悲しさに重なって、どうにもやるせなくなる。

ひとしきり涙にくれた後、泣いている場合ではないと仙之助は我に返った。

粂蔵の真意がどこにあろうとも、縁があって開港地の横浜に来て、英語の稽古に励み、異国に行く伝手もある。それは希有な幸運と言うべきものだ。

全てを失ったと思ったけれど、ユージン・ヴァン・リードとのつながりは、まだ失っていないはずだ。そう思った瞬間、仙之助は、急にヴァン・リードの消息が心配になった。

仙之助は、ヴァン・リードは豚屋火事を生き延びているに違いないと、勝手に思い込んでいた。だから、真っ先に彼の無事を確かめなかったのだ。全焼した港崎(みよざき)遊郭より外国人居留地は被害が少なかったと聞いていたこともあったが、太平洋の遭難を生き延びたヴァン・リードの強運が、そう信じさせたのだった。

だが、もしヴァン・リードを失ったなら、本当に全部を失ってしまうことになる。

仙之助は涙をふいて、空を見上げた。泣いている場合ではない。

一刻も早くヴァン・リードに会わなければ。

わらじの紐を締め直すと、仙之助は小走りに横浜をめざした。

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次回更新日 2021年10月17日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお