山口由美
2023年09月10日更新

仙之助編 十三の八

「ダニエル船長とは、どこでお会いになったのですか」
「アメリカンホテルのバーだ」

仙之助がウィルと引き合わされた、ダウンタウンのホテルだった。

アメリカンホテル

「しばらくホノルルに逗留されるのでしょうか」
「さあな、久しぶりに陸で飲むバーボンの味はこたえられないと話していたから、今夜はまたバーに繰り出してくるだろうよ」

夕方になるのを待ちかねて、仙之助は、ウィルの従者として、アメリカンホテルのバーに入った。カウンターに見覚えのある後ろ姿があった。
「ダニエル船長」

仙之助の声に驚いたように、懐かしい顔が振り向いた。
「おお、ジョンセン、元気そうだな」
「はい、おかげさまで」
「お前の仲間たちは、無事に日本から到着したのか」
「はい、ですが……慣れないプランテーションの仕事で命を落とした仲間もおりました。役に立てなかったかと思うと不甲斐ないです」
「そうか。詳しい事情はわからんが、陸の上でも海の上でも、慣れない仕事で命を落とす者はいる。俺の捕鯨船でもそうした事故は何度もあった」
…………
「元気に働いている者もたくさんいるんだろう」
「はい。ですが、総代の富三郎は、移民を帰国させたいと……
「ユージンが骨を折って移民の渡航を実現させたんじゃなかったのか」
……
「それを帰国させるのか」
…………
「いろいろと複雑な事情がありそうだな。だが、ジョンセン、何はともあれ、お前が元気そうでよかったぞ」
「ありがとうございます」

仙之助は、胸いっぱいに熱いものが込み上げてくるような感じがしていた。
「ジョンセン、お前も一杯飲むか」

戸惑って、仙之助は、ウィルとダニエルの顔を交互に見た。

バーテンダーは、何も言わず、褐色の色がやや薄い、多めのソーダで割ったバーボンを仙之助が座ったカウンターテーブルの前に置いた。

仙之助は、グラスを手にして、恐る恐る口に運んだ。弾ける炭酸の喉越しは、甘いレモネードよりも刺激的で、後からほろ苦さと喉が熱くなるような感覚が追いかけてくる。せつない心境と共に、仙之助にとって忘れられない味となった。

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次回更新日 2023年9月17日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお