山口由美
2023年02月26日更新

仙之助編 十一の四

ロトと名乗るハワイアンは、仙之助が語る素性にはたいして興味を示さずに、別の質問を投げかけてきた。
「センタロウ……、釣りは得意か?」
「えっ、いや、あまり……
「お前は漁師ではないのか」
「は、はい」

正直に答えた後で仙之助は次の言葉に窮してしまった。

当時、ハワイにやって来る日本人と言えば、漂流した漁師と相場が決まっていた。あやしい密航者であることを吐露してしまったと慌てた。
「捕鯨船に乗っていたと言ったな」
「はい」

仙之助は、次に何を問いただされるのか不安になった。
「そうか、お前は漁師ではなくて、鯨捕り(Whaler )だったな。鯨を相手にしていたら、ちっぽけな魚なんかつまらんよな」

そう言って豪快に笑った。
「そんなことはありません。それに私は船室係(Cabin boy )でしたから」
「てっきり勇敢な操舵手(Boatsteerers )かと思ったぞ」

クジラを仕留める瞬間

ロトは、銛を鯨に打ち込む動作を真似て、今一度笑った。
「鯨を捕獲した後、解体して鯨油にする作業は私もやりました。捕鯨船の仕事に詳しいのですね。捕鯨船に乗っていらしたのですか」

ロトは一瞬、驚いたような表情をして、ことさらに大きな声で豪快に笑った。
「ハッハッハ。こりゃあいい。この私が操舵手(Boatsteerers )か。そんな人生があってもよかったかもしれないな」

仙之助は戸惑ったような表情で言った。
「失礼なことを申し上げたようで、すみません」
「捕鯨船に乗ったことはないが、客船に乗って異国に行ったことはあるぞ」
「どこに行かれたのですか」
「イギリスとアメリカ、ほかにもいろいろな国に行ったな。異国を旅すると、感動することもあれば、不愉快なこともある。だが、自分の国にいるだけではわからないことを学ぶことができる」
「私もそう思います。新しい世界を知る喜びは何ものにもかえられません」

仙之助は頬を紅潮させて意気揚々と答えた後、ふと我にかえった。

この人物は何者なのだろう。

捕鯨船や商船に雇われるのでなく、客船で異国に行くなんて、よほどの金持ちか高貴な身分の者に違いない。だが、目の前にいるロトはシャツとズボンの軽装で、朝からのんびり釣り糸を垂れている。

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次回更新日 2023年3月5日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお