- 2022年06月19日更新
仙之助編 八の五
ペドロパブロフスク・カムチャスキーの港に二昼夜停泊した後、三日目の朝早く、クレマチス号は碇を上げて出航した。
出航してまもなく、仙之助は、上級船員のいる船室に招き入れられた。
ダニエルは、仙之助に目をかけてくれたが、親しく話をするのは、たいてい甲板だった。上級船員たちの船室に出入りするのは、食事の給仕をするときに限られ、船上の身分の違いを前提とした態度で接した。何かを命じられたら「Yes,Sir 」と答えるように教えられた。キャビンボーイの基本を叩き込まれたことは、後に仙之助の人生を変えることにもなる。
船室のテーブルに広げられていたのは地図だった。
陸上の地図とは異なり、海の部分に多くの文字や数字が書き込まれている。
「これは……何ですか」
「 Nautical Chart(海図)だ」
仙之助にとっては、初めて聞く英語だった。もっとも日本語で言われたところで、初めて聞く言葉であることに変わりはなかった。
「これを見ながら船を操るのですね」
「その通りだ」
「これはアバチャ湾ですか」
「よくわかったな。今はこれがあるから安心だが、ほんの十数年前、海図がない時代のカムチャッカ・グラウンドは命がけの航海だった。仲間の船がいくつも消息を絶ったものさ」
ダニエルは感慨深げにつぶやいた。
北太平洋の海図が整備されたのは、一八五三年に北太平洋測量艦隊が派遣されて以降のことである。太平洋横断航路の確保と捕鯨船の保護は当時、アメリカの国益にとって、最優先課題とされていた。一八五四年にペリーの艦隊が日本に派遣されたのも、その目的の一環にほかならなかった。太平洋航路の途上に位置する日本の開国は、捕鯨船や貿易船の補給基地として、また悪天候時の避難港として、何としても必要なものだったのだ。
嵐の時に避難したモロゾバヤ湾でダニエルが慎重な操船を行ったのは、海図に充分な情報が記されていなかったからだ。アバチャ湾は詳細な海図があるので安心して航行できる。
「アバチャ湾を出たら、立ち寄れる港はないぞ」
そう言うと、もう一枚の海図を取り出した。カムチャッカ半島からハワイに至る広域の海図だった。ただひたすらに大海原の続く航路であることがわかった。
「もし……、また嵐に遭遇したらどうするのですか」
「そうだな、神に祈るしかないな」
「……」
「ハハハハ、怖がるな。嵐を切り抜けるだけの技術的な準備と心の準備はいつもしている。そうでなければ、太平洋を横断なんかできはしないさ」
「……」