山口由美
2023年08月27日更新

仙之助編 十三の六

牧野富三郎が仙太郎と連名で記した最初の救出嘆願書は、一八六八年十二月二十五日付け、まさにクリスマス当日に書かれた。

その少し前、同年十一月二十四日に、実はもう一通、ハワイの日本人移民の窮状にかかわる上申書が日本政府に提出されていた。

送り主の宇和島藩士城山静一は、江戸の商人扇屋久次郎に雇われ、通訳としてサンフランシスコに渡った人物だった。

なぜ彼がハワイの日本人移民に関する上申書を書いたのか。

それはハワイの新聞に掲載された移民の窮状がサンフランシスコの新聞にも報じられ、元凶は元締めのユージン・ヴァン・リードであると書かれたことがきっかけだった。サンフランシスコから商用でハワイに渡航しようとしていた城山は、ヴァン・リードのよからぬ企みでハワイ駐在日本領事として着任すると噂を立てられた。城山は、そうした噂に何の関わりもないことを示したくて、ヴァン・リードを告発するかたちでハワイ移民の窮状を訴える上申書を書いたのだった。

移民たちの窮状を知ってもらおうとしたことが、情報が伝わるにつれ、さまざまな尾ひれがついていったのである。だが、富三郎の嘆願書だけではなかったことが、結果として政府が早く動く結果になったのかもしれない。

富三郎は政府に働きかけを続ける一方で、これ以上の犠牲者を出さないよう、移民たちが働くサトウキビプランテーションを頻繁に訪れた。

その後は、幸い悲劇はおこらなかった。

月額四ドルの給与が引き上げられることはなく、物価高は相変わらずで、勤務時間が短くなったこともなかったが、都市生活者だった移民たちが多少なりとも生活に慣れたことは大きかった。

仙之助は通訳としてプランテーション訪問には同行したが、その後は、少しずつ表に立つことをさけるようになった。嘆願書に「仙太郎」と記したときの逡巡と不安が、時がたつにつれて大きくなるのを感じていたからだ。

富三郎は、ヴァン・リードの策略にはまって無効の旅券で旅立つことになったと訴えるが、そもそも仙之助は、幕府の旅券さえ持たない、正真正銘の密航者だった。ヴァン・リードが何らかの策略で移民たちをハワイに送ったのか、その真偽はわからない。だが、少なくとも、仙之助は、ヴァン・リードに騙された事実はない。捕鯨船に乗って太平洋を北から南へと航海したこと、ハワイに来たこと、その全てを何も後悔はしていなかった。

埃っぽいホノルルのダウンタウンにいてもなお、吹く風は心地よかった。

港から吹いてくる海の風、ヌウアヌ通りの先から吹いてくる山の風。

炎天下の労働で亡くなった仲間たちのことを思えば不謹慎なのかもしれないが、この風に吹かれていると、この島を「コノヨノゴクラクジョウド」と呼んだヴァン・リードが大嘘つきとも思えない気がしてくるのだった。

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次回更新日 2023年9月3日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお