山口由美
2024年03月17日更新

仙之助編 十五の九

明治三年、旧暦の十一月十二日、アメリカの太平洋郵便汽船の定期航路「アメリカ号」で横浜港を発ったのは、理事官の伊藤博文と数名の随員、東京、横浜、大阪の為替会社、回漕会社の者たちを含めた総勢十二名だった。

一行が渡米した目的は金融財政調査だった。

明治維新は、大政奉還、版籍奉還と、政治の表向きは大きく変わったが、経済の内情は、江戸時代と変わらない状況が続いていた。そのひとつが貨幣だった。

当時、市中には旧幕府や旧諸藩の発行した紙幣が混在し、貿易の障害になっただけでなく、物価の上昇をもたらして民衆の生活にも悪影響を及ぼしていた。伊藤は、早急に貨幣の統一、財政の一本化を図る必要を感じていた。書物での研究には限界があり、外国に趣いての調査を決断したのである。

伊藤は、幕末に長州藩の留学生として渡英した経験があった。駐日英国大使のパークスとも親しい仲だったが、目的地をアメリカにしたのは、開明的な若い国であると同時に、南北戦争という内戦を経験したばかりであることが、幕末の動乱を経た日本にとって学ぶべきものがあると考えたからだろう。

サンフランシスコに上陸して、大陸横断鉄道で東海岸へ。首都ワシントンでは、米国政府に手厚く遇され、ホワイトハウスでグラント大統領に謁見した。大蔵省を見学し、同行した民間人は実務を学ぶため、ニューヨークに派遣した。

新貨幣の鋳造や紙幣の発行について、大蔵省の役割や位置づけ、民間銀行の設立、アジアで主流だった銀本位制から世界の本流である金本位制への移行など、日本の金融と財政を整備することへの興味は、政治のありようにまで波及し、充実したアメリカ滞在は、およそ百日間に及んだ。帰国は、明治五年五月九日のことだった。

アメリカ滞在中から伊藤は、明治五年に期限が迫った条約改正のことを考え始めていた。

条約とは、幕末の安政年間以降、幕府がアメリカ、ロシア、オランダ、イギリス、フランスと締結した不平等条約のことである。

外国人の犯罪に日本の法律が及ばない治外法権、日本に関税主権がないこと、無条件での最恵国待遇などが不平等の内容だった。この条約の最初の改正期限が明治五年だったのである。伊藤は、条約改正のために使節団派遣の必要性を主張した。

帰国後まもなくの七月十四日、廃藩置県が施行された。

江戸時代以来、脈々と続いた藩体制の解体だった。同時に政府内から名目だけの公家や諸侯が排除された。そのなかで、廃藩置県後、外務卿に任じられ、その後、右大臣に任命された岩倉具視は、公家出身の実力者とみなされていた。

そして、組織されたのが岩倉を正史とする岩倉具視欧米使節団だった。

伊藤は、帰国後、多忙を極めるなか、それでも、しばしば神風楼に姿を現した。

トメとは、戯れ言を交わす仲になっていた。そのトメを介して、使節団の話が仙之助の耳に入ってきたのは、明治四年の九月の終わり頃のことだった。

▼ 続きを読む

次回更新日 2024年3月24日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお