山口由美
2019年12月15日更新
画 しゅんしゅん

三の二

横浜駅前の飲み屋街のような一角を抜けて、私たちは線路沿いの道を歩いた。日曜日の午前中は、歩く人もまばらだった。

やがて、あたりは住宅街になってゆく。
「このあたりは、昔、神奈川宿と呼ばれたあたりですな」
「では、本覚寺は、もうじきですね」
「はて、お嬢さんはいらしたことがあったかな」
「いいえ、前に箱根にいらした時に、本覚寺は、昔の神奈川宿のあたりにあると教えてくださったから」
「ほう、賢いお嬢さんだ」
「だって、興味がありますから」
「ははは、そんなに興味を持たれると恐縮しますな。本覚寺は、そう、この石段を上がっていった先になります」

本覚寺

「青木山本覚寺」と記された石柱の先に続く石段の上には、こんもりした巨木がそびえていた。外国人墓地の入口にも大きな木があったことを思い出す。石段を上がりきって、山門の入り口に立つと、急に眺望が開けることに驚かされた。
「ここから港が見下ろせるから、アメリカは領事館をこの寺においたんですよね」
「その話もしましたな」
「そんなところに自分の祖先が葬られているなんて、お話を伺った時、本当に驚きました」

虎造は、山門を指さして説明する。
「白いペンキが塗られているでしょう」
「はい。それが何か?」
「日本で最初のペンキで塗られた建物なんだそうです」

祐司が的を射たような表情で話し始めた。
「そうか、アメリカ人は昔から白いペンキが好きだったんですね。富士屋ホテルでも米軍の接収時代、彼らは館内のあちこちを白いペンキで塗りましてね。まだ私は婿に来ておりませんから、義父から聞いた話ですが。いや、富士屋ホテルだけじゃありません。日本中の接収ホテルが白いペンキで塗られました。戦後の米軍の記憶は白いペンキだと、ホテル業界の先輩方は皆さん、おっしゃる。驚きました。その原点がここにあったとは」
「考えてみれば洋館は、みんな白く塗られていますね。なるほど、白いペンキはアメリカの象徴ですか。思わぬところで、富士屋ホテルとつながりましたな」

虎造と私たちは、顔を見合わせて笑った。

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次回更新日 2019年12月22日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお