山口由美
2021年05月16日更新

仙之助編 四の一

ジャン、ジャン、ジャン、ジャン──

ジャン、ジャン、ジャン──

一八六五(慶応元)年十二月十四日の夜遅く、浅草界隈に火事を知らせるけたたましい半鐘が鳴り響いた。火柱が上がったのは、雷門の南東に位置する三軒町の方角だった。

北風がゴウゴウと不気味な音を立てて吹き荒れる夜だった。雨戸をガタガタと揺らす風の音が、突如、急を告げる半鐘に変わったのを山口仙之助は聞き逃さなかった。

毎晩、漢学塾の勉強が終わると、仙之助と仙太郎は、常夜灯である有明行灯の光を頼りにユージン・ヴァン・リードから貰った英語の教本を読むのがならいだった。

有明行灯

だが、このところ、仙太郎の体調が優れない日が多くなっていた。夕刻を過ぎると微熱が出る。そして、時々こんこんと苦しそうに咳をする。その晩も仙太郎は布団に伏せたまま、仙之助が小声で音読するのをじっと聞いていた。

目を閉じていた仙太郎も風の音が半鐘に変わったのに気づき、不安そうな表情をして布団から起き上がった。
「火事……か」

同じ部屋に寝ていた塾生たちも次々と起き出した。
「私が様子を見て参ります」

仙之助が外に出てみると、往来には大勢の人たちが着の身着のまま火柱の方角を見つめていた。風は東に吹いている。火勢はこちらに向かってはいなかった。
「なあに、火は森下のほうに向かっているから大丈夫さ」

気楽な調子で話す者もいた。

仙之助も安堵した次の瞬間だった。風向きが変わった。
「おおい、風が西になったぞ。こっちに火がくるぞ」

風にあおられ、火は向きを一転させた。

江戸の町中には、火災の延焼を防ぐために道幅を広げた街路がところどころにあって、広小路と呼ばれていた。

だが、横町から広小路に吹き出した炎はそこにとどまることなく、幅を一気に広げて、あたり一面を火の海にした。

しばし、呆然自失で立ちすくんでいた仙之助は、我に返った。
「火がこっちにくるぞ、逃げろ」

大声を上げながら振り返ると、仙太郎がヴァン・リードから貰った英語の教本をしっかりと胸に抱いて立っていた。

ほかの塾生たちは、身の回りのものや数冊の本をまとめた大きな風呂敷包みを背負った。仙之助は、ヴァン・リードの教本を仙太郎から受け取ると、風呂敷で大切に包み、着物の下に腹巻きのように巻いた。それ以外は何も持たず、仙太郎の熱をおびた手を握った。身軽でなければと逃げ切れないと思ったからだった。

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次回更新日 2021年5月23日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお