山口由美
2024年02月04日更新

仙之助編 十五の四

高島嘉右衛門の営む旅館、高島屋は威風堂々たる造りの日本建築だった。

玄関を入ると、品の良い女中が出迎えてくれ、履物のまま入るように促された。粂蔵と仙之助が案内されたのは、西洋館を思わせる内装の応接間だった。

まもなく、主人の嘉右衛門が入ってきた。

面長の細面で眼光鋭い男だった。

高島嘉右衛門

ひとしきり粂蔵と仙之助を嘗め回すように見ると、居住まいを正し、椅子に座った。

人を見抜くことにただならぬ眼力があると聞いてはいたが、噂どおりの人物らしい。
「神風楼さんだね。ようお出で下さった。最近のご繁盛ぶりは噂に聞いておりますよ」
「恐縮でございます。私は当主の山口粂蔵、こちらは養子の仙之助です」
「はじめまして。お目にかかれて光栄です」

仙之助は、嘉右衛門の眼力に負けまいと、目線をあわせて挨拶をした。
「ほほう、賢そうな跡取りではないか。西洋人のような挨拶をするのだな」

唐突に言われて、仙之助は困惑して返事に窮した。
…………
「人の目を見て挨拶をするのは、西洋人の作法であろう」
…………
「異国には行ったことはないが、異人の商人たちとは、さんざん商売でやりあった。あいつらと対等に話をするには、目を見て話をすることが肝心だ。お前、ずいぶん若いのに彼らの作法が身についているとは。さては、洋行帰りか」
「あ、いや……
「私は獄に入ったこともある。何も隠すことなぞない。さては、密航か」

いきなり図星を当てられて、仙之助はさらに困惑した。
「は、はい」
「ハハハハ、そうか、そうか。維新の前は、異国に行くのはご禁制だったのだから仕方あるまい。薩摩や長州のお偉いさんたちも密航したのだからな。お前は、密航してどこに行ったのか。パリーか、ロンドンか」
「いや、パリーやロンドンのことは存じません」
「では、メリケンか」
「いえ、メリケンでもなく……
「いったいどこに行ったのだ」
「捕鯨船に乗りました」
「ほほう、捕鯨船か。確かに横浜の港にはたくさん寄港している」
「メリケンの捕鯨船で、船長もメリケンのお方でしたが、ロシアの北方のカムチャッカ沖で漁をした後、ハワイで下船しました」
「ハワイ……、維新前にあやしい異人が天竺だと称して人集めをしていたところか」

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次回更新日 2024年2月11日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお