山口由美
2019年02月04日更新

仙之助編十三の一から最新話まで

仙之助編十三の一

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

早朝のヌウアヌ通りに男たちの足音が響き渡ったのは、一八六八年十二月初旬のことだった。十一月のサンクスギビングが終わって、クリスマスの準備を始める頃のことだ。

熱帯のホノルルにはクリスマスツリーにするモミの木もないが、それでも商店街ではせめてもの装飾を施してクリスマスらしい気分を演出する。商船の入港が多くなり、お祝いの食卓に欠かせない葡萄酒やシャンパン、砂糖漬けの果物などが入荷した知らせが新聞広告を賑わせる季節であるのは横浜と同じだった。

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

ザッ、ザッ、ザッ、ザッ。

軍隊の行進にも似た足音にホノルルの住人たちは、何事かと、鎧戸の中から様子をうかがった。まもなく、足音は、ある建物の前でピタリと止まった。

日除けの麦わら帽子を被り、汚れたシャツを身につけた、見るからに農園労働者といった風貌の背の低い男たちが十人ほど、鬼のような形相で立っていた。

コウラウ耕地のワイルダー・プランテーションに雇用された日本人移民たちだった。

足音に気づいた牧野富三郎が慌てて外に出てきた。
「おまえたち……、夜通し歩いてきたのか」

その質問には答えずに、先頭に立った男が答えた。
「モキチとヒョウベイが死んだ」

告げられたのは、コウラウ耕地に配属されたなかで年かさの二人の名前だった。
「えっ……、何だって」

富三郎の問いかけに男は罵声を浴びせるように言った。
「あいつら、お陀仏になっちまったんだよ」

男たちの突き刺すような視線に富三郎は言葉を失った。

サトウキビを収穫する仕事は過酷だった。陽の長い季節は早朝から夕暮れまで十二時間、夜明けが遅くなり、ようやく始業が一時間遅くなったが、それでも十時間は働きづめで、昼食の休憩も三〇分しか許されなかった。

もっとも、彼らが不当に過酷な待遇だったのでもなく、当時のサトウキビプランテーションの労働条件はみな同じようなものであり、明治中期以降の日本人移民も同じ待遇で働かされた。だが、後の移民たちの大半が農民だったのに対し、横浜で集められた元年者のほとんどが都市生活者で、畑仕事に不慣れだったことも、早々に不満が爆発した理由だった。

一日四ドルという給与は契約通りだったが、提供される食事が充分でなく、しかもコックが中国人であったため、脂っこい味付けが日本人の口にあわなかった。さらに彼らを憤らせたのが、横浜を出航する時に支給された揃いのお仕着せの代金を給料から差し引かれたことだった。ハワイの物価の高さも彼らには想定外のものだった。

仙之助編十三の二

最も多くの移民が入植したコウラウ耕地のワイルダー・プランテーションのことは富三郎も心にかけていた。彼らを送り込んで数週間後には仙之助を伴って再び現地に赴き、彼らの不満を直接聞いていた。

過酷な労働と食事が満足でないことは、どこも同じだったが、コウラウ耕地のルナ(監督官)はことさらに厳しく、いつも不機嫌だった。なかでも農園の責任者だと名乗ったジョーイがくせ者らしかった。富三郎や仙之助が訪問すると、多少もっともらしい態度をとるが、移民たちは口々にその非人情を訴えた。

しかも働き手は、喧嘩早い面々が揃っていた。ルナの強引な態度に黙ってはいなかった。だが、反発すればするほど、相手も強硬な態度に出る。

彼らがとりわけ訴えたのが、体の具合が悪い者に病欠を許さないことだった。ルナが小屋までやって来て、病人を畑に引っ張り出す。そうして働かされた結果、一人は仕事中に畑で倒れ、一人は、ある朝、胸が苦しいと言って息絶えたという。
「あいつら、殺されたようなものだ。ただでは済ませられない」

怒りに震えた男たちは、涙ながらに訴えた。

その前日、仙之助はかつてスクールボーイとして働いていたウィル・ダイヤモンドからワイルダー・プランテーションの噂を耳にしていた。

ウィルは声をひそめて言った。
「コウラウ耕地のワイルダー・プランテーションは呪われていると噂が立っている」
「どういうことですか?」
「おまえたち、日本人がコウラウに向かった前日に事件が起きた」
「事件とは、いったい……
仙之助は到着した日に、ルナのジョーイがみなホノルルに出払っていると、意味深な発言をしていたことを思い出した。
「いや、正確には、事故だな」
「事故?」
「工場のサトウキビを煮沸する釜に農園主のワイルダーの幼い息子が落下して死んだんだ」
「えっ、あのレンガ造りの立派な工場で、ですか」
「そうだ。最新鋭の巨大な釜で、どうにも助けられなかったらしい」
「そんな……

仙之助はむごたらしい惨状を想像して顔をそむけた。
「生きたまま子供が釜でゆでられたなんて、地獄の沙汰だ。事故だとしても、ただごとではない。ワイルダーの夫婦は半狂乱になっている。ホノルルの社交界はその噂でもちきりだ」
…………

仙之助は言葉を失った。悲劇を聞いた翌日に、同胞の悲報を聞くことになるとは。

本当に呪われているのではないかと思いたくなる。

仙之助編十三の三

コウラウ耕地の日本人移民たちが、大勢でホノルルまでやって来て抗議をしたことは、地元の新聞にもとりあげられた。当時、過酷な条件で働く労働者はいくらもいたが、大きな声をあげて抗議する者はいなかったからだ。

彼らの言い分を記者に伝えたのが、仙之助だったことは言うまでもない。声を上げることで、少しでも事態の改善を図りたいたいと仙之助は考えた。

だが、事態はいい方向には進まなかった。

富三郎と仙之助がコウラウ耕地で亡くなった二人の同胞を弔い、再びホノルルに戻ってくると、まさかの訃報が再び彼らのもとにもたらされた。

マウイ島のウルパアク耕地で、またサイオト号の移民がひとり、命を落としたのだった。

しかも病死ではない。首を吊って自殺したのだという。

仙之助は富三郎と顔を見合わせて絶句した。

詳しい事情はわからなかったが、過酷な環境に耐えかね、未来を絶望して命を絶ったと聞かされた。サイオト号の船上でなくなった和吉とあわせて、わずかの間に四人の尊い命を失ったことになる。

重苦しい沈黙が続いた後、富三郎がぽつんと言った。
「何が天竺だ……地獄じゃないか」

眼には涙が浮かんでいた。
「俺は人殺しの片棒を担いだのか……
「富三郎、そんなことはない………
「じゃあ、なんで四人も死んだ」

見たことのないような形相で富三郎は怒鳴った。
「それは……

仙之助は言い返そうとするが、言葉がつなげない。

不安の中にいる仙之助と富三郎

「ゴクラクジョウドとは、結局、あの世のことだったのか……

ハワイをコノヨノゴクラクジョウドと呼んだのはユージン・ヴァン・リードだった。募集に応じた者たちは、それを聞いて天竺で一稼ぎできると信じた。
「天竺と信じて船に乗った者たちに何と言い訳すればいい」
…………

仙之助は、富三郎の心に自分たちはヴァン・リードに騙されたのではないかという疑念が生まれていることに気づいていた。揃いのお仕着せの代金をハワイに来てから給料から差し引かれたのが疑念のきっかけだった。

だが、仙之助はヴァン・リードを信じていた。彼によからぬ噂があることは知っていたが、少なくとも仙之助にとっては、未知の世界への扉を開いてくれた恩人だった。亡き仙太郎との思い出もたくさんある。

悲劇が続くなか、ヴァン・リードと初めて会った季節、クリスマスが近づいていた。

仙之助編十三の四

一八六八年の十二月二十四日、クリスマスイブの夜、仙之助は、前の勤め先であるウィル・ダイヤモンドに手伝ってほしいと声をかけられた。自宅に人を招いてパーティーをするのに手が足りないのだと言われた。

日本人移民をめぐる騒動は、ホノルルの小さな社交界ですっかり有名になっており、仙之助が渦中にいることはウィルもわかっていたが、だからこそ、気分転換させたい気持ちもあったのだろう。わずかの間に同胞を三人も亡くし、気落ちしていた仙之助は逡巡したが、世話になった相手から懇願されれば、断る訳にもいかなかった。

十二月のホノルルは、少し気温が下がり、朝晩は肌寒さも感じるが、日中の日差しは強かった。木枯らしの吹いていた横浜のクリスマスの頃とは全く異なる。

仙之助は糊のきいた白いシャツに着替えて、ウィルの家の玄関に立った。
「おう、センタロウ、よく来てくれた」

赤ら顔のウィルがウィスキーグラスを片手にあらわれた。
「もう飲んでおられるのですか」
「ハハハハ、今日はクリスマスだから特別だ」

見慣れたリビングルームには、大きなクリスマスツリーが飾ってあった。
「あ、……

仙之助は、思わず言葉を失った。
「どうした。クリスマスツリーを見たことがないのか」
「いえ、そうではなくて。私が生まれて初めて、横浜で見たクリスマスツリーにあまりによく似ていたので。赤いガラス玉と金色の星と……、」

クリスマスツリー

「そうか。でも、木は違うだろう。これはクックパインという南洋でも育つ松の木だ。横浜にモミの木(Fir Tree )はあったのか」
「わかりません。でも、ヴァン・リードさんは、これによく似た木を私の店に売りに来て」
「ハハハハ、ユージンはクリスマスツリーの行商人だったのか」
「はい」
「あいつは、いつも突拍子もないことを考えるからな。だから、誤解もされる」
…………
「あいつの悪い噂がたっていることは知っている。このたびのことは、いろいろと行き違いがあったのだろう」
「私にとっては……、恩人です。でも……
「あいつが本当は悪党なのか、誤解なのか。今はわからんな」
…………
「だがな、ものごとは、今何が一番大事か、優先するべきは何かを見極めることが大切だ。なあに、誤解なんてものは、いつかわかりあえる時が来る。心配するな」

ウィルはそう言って、仙之助の肩をぽんと叩いた。

仙之助編十三の五

クリスマスイブの夜、仙之助は、ウィルの客たちが帰った後も台所で皿洗いと片付けを一人で引き受けた。牧野富太郎のもとに帰りついたのは夜半過ぎだった。

事務所には、まだランプの火が灯っていた。
「まだ、起きていらしたのですか」
「ああ、救出嘆願書を書いていた」
「救出……、帰国を求めるということですか」
「もはや、それしかないだろう」
「誰にあてて書いているのですか、ヴァン・リードさんですか」
「俺たちは、あいつに騙されたんだぞ。その相手に手紙を書いてどうする」

富太郎は激高して声を荒げた。
…………
「仙之助さんがヴァン・リードを庇いたい気持ちはわかる。だが、だったならなぜ、助けを差し伸べてくれない。サイオト号の出港以来、なしのつぶてじゃないか」
…………
「俺たちの旅券は失効していると、移民局にも言われている。江戸幕府が発行した旅券だからだ。日本は今はもう、新政府の世の中になっている。日本でもそのことが問題になっているらしい。あいつのせいで、俺たちは、密航者になってしまった」

仙之助は、私と同じですね、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
「もう、幕府の世ではないのですね」
「そうだ、だから、新しい政府に対して嘆願書を書くことにした」

月額四ドルの給与に対して物価が高すぎて生活が成り立たないこと、過酷な労働、不慣れな気候風土、生活習慣など、富太郎は、移民たちが口々に訴えた窮状を事細かく書き綴った。とりわけ感情が高ぶった表現になったのは、四人の仲間を失ったことだった。

そして、すべては、在日ハワイ総領事を名乗るユージン・ヴァン・リードが正しい情報を移民たちに伝えなかったことによる悲劇だと強い論調で断じていた。

びっしりと文字の並んだ書面をじっと見つめる仙之助に富太郎は言った。
「仙之助さんも嘆願書に名前を記してもらえませんか」
「えっ、私も、ですか」
「救出に動いてもらうためには連名のほうがいい。そう思いませんか」

仙之助は胸の鼓動が速くなるのを感じていた。ヴァン・リードの不正を訴える文書に名前を記すことへの逡巡、そして密航者である自分が公文書に存在を残すことへの不安だった。だが、移民たちにこれ以上の苦悩を与える訳にいかない。それこそが、ウィルの言っていた、優先すべきことに違いない。仙之助は決心して筆をとった。
「仙太郎」

少し震える手で自らの変名を嘆願書に記したのだった。

サインする仙之助

仙之助編十三の六

牧野富三郎が仙太郎と連名で記した最初の救出嘆願書は、一八六八年十二月二十五日付け、まさにクリスマス当日に書かれた。

その少し前、同年十一月二十四日に、実はもう一通、ハワイの日本人移民の窮状にかかわる上申書が日本政府に提出されていた。

送り主の宇和島藩士城山静一は、江戸の商人扇屋久次郎に雇われ、通訳としてサンフランシスコに渡った人物だった。

なぜ彼がハワイの日本人移民に関する上申書を書いたのか。

それはハワイの新聞に掲載された移民の窮状がサンフランシスコの新聞にも報じられ、元凶は元締めのユージン・ヴァン・リードであると書かれたことがきっかけだった。サンフランシスコから商用でハワイに渡航しようとしていた城山は、ヴァン・リードのよからぬ企みでハワイ駐在日本領事として着任すると噂を立てられた。城山は、そうした噂に何の関わりもないことを示したくて、ヴァン・リードを告発するかたちでハワイ移民の窮状を訴える上申書を書いたのだった。

移民たちの窮状を知ってもらおうとしたことが、情報が伝わるにつれ、さまざまな尾ひれがついていったのである。だが、富三郎の嘆願書だけではなかったことが、結果として政府が早く動く結果になったのかもしれない。

富三郎は政府に働きかけを続ける一方で、これ以上の犠牲者を出さないよう、移民たちが働くサトウキビプランテーションを頻繁に訪れた。

その後は、幸い悲劇はおこらなかった。

月額四ドルの給与が引き上げられることはなく、物価高は相変わらずで、勤務時間が短くなったこともなかったが、都市生活者だった移民たちが多少なりとも生活に慣れたことは大きかった。

仙之助は通訳としてプランテーション訪問には同行したが、その後は、少しずつ表に立つことをさけるようになった。嘆願書に「仙太郎」と記したときの逡巡と不安が、時がたつにつれて大きくなるのを感じていたからだ。

富三郎は、ヴァン・リードの策略にはまって無効の旅券で旅立つことになったと訴えるが、そもそも仙之助は、幕府の旅券さえ持たない、正真正銘の密航者だった。ヴァン・リードが何らかの策略で移民たちをハワイに送ったのか、その真偽はわからない。だが、少なくとも、仙之助は、ヴァン・リードに騙された事実はない。捕鯨船に乗って太平洋を北から南へと航海したこと、ハワイに来たこと、その全てを何も後悔はしていなかった。

埃っぽいホノルルのダウンタウンにいてもなお、吹く風は心地よかった。

港から吹いてくる海の風、ヌウアヌ通りの先から吹いてくる山の風。

炎天下の労働で亡くなった仲間たちのことを思えば不謹慎なのかもしれないが、この風に吹かれていると、この島を「コノヨノゴクラクジョウド」と呼んだヴァン・リードが大嘘つきとも思えない気がしてくるのだった。

仙之助編十三の七

一八六九年の新年が明けてしばらくしてから、仙之助は、再びウィル・ダイヤモンドの家でスクールボーイとして働くようになった。クリスマスイブの働きぶりに、ウィルがあらためて仙之助に戻ってきてほしいと懇願したことと、ユージン・ヴァン・リードに対する怒りが日々膨れ上がっていく富三郎と、毎日顔をつきあわせることが、仙之助にとって、いさかか気まずくなっていたことが原因だった。

富三郎は、仙之助を責め立てたり、文句を言うことは一切なかった。

嘆願書にも連名で署名を求めたように、むしろヴァン・リードの不正を共に訴える同志であることを強く求めていた。そのことを仙之助は痛いほどわかっていたし、命を落とした仲間のことを考えるならば、そうあるべきとも思っていた。だが、ヴァン・リードとの思い出は忘れがたく、個人的な心情としては、どうしても彼を悪党とは思えない。心の葛藤が、いよいよ苦しくなっていたのだった。

富三郎も、仙之助の心のうちをわかっていたのだろう。決心を伝えると、言葉少なにうなずいて、引き留めはしなかった。

年が明けてからも、富三郎は、なおも日本政府に複数の嘆願書をしたためた。

仙之助も署名した最初の文書では、雲を掴むような感じがあったが、宇和島藩の城山静一からの嘆願書もあり、富三郎は手応えを感じるようになっていた。

二人の立場を大きく隔てていたのは、富三郎と移民たちは、正式な移民としての渡航であると信じて、ヴァン・リードに手配をゆだねたのに対して、仙之助は最初から密航者として海を渡った事実だった。嘆願書が認められて、政府が動き出せば、仙之助の立場は、危ういものになる。そのことにも、お互いが気づき始めていた。

当時、ホノルルと横浜を結ぶ定期航路はなかったので、横浜に向かう者をみつけて手紙をわたすしか方法はない。英語の拙い富三郎が筆談で意思疎通のできる中国人に手紙を依頼したのは、これまでのように全てを仙之助に頼ることの躊躇があったからに違いない。

それでも、二人が疎遠になった訳ではなかった。

富三郎が仙之助の英語力を必要とすることはしばしばあったし、仙之助も自分がハワイに来た目的は、移民たちのためだという思い強くあった。時々は、気にかけていたコウラウ耕地のワイルダープランテーションまで二人で視察に行くこともあった。

そうしたある日のこと、帰宅したウィルが頰を紅潮させて仙之助に言った。
「おい、センタロウ、今日は懐かしい奴に会ったぞ」
「どなたですか?」
「ダニエル船長だ」
「えっ、クレマチス号の?」

ダニエル

「そうだとも」
「達者でおられましたか」
「ああ、元気そうだった。お前の噂話に花が咲いたぞ」

仙之助編十三の八

「ダニエル船長とは、どこでお会いになったのですか」
「アメリカンホテルのバーだ」

仙之助がウィルと引き合わされた、ダウンタウンのホテルだった。

アメリカンホテル

「しばらくホノルルに逗留されるのでしょうか」
「さあな、久しぶりに陸で飲むバーボンの味はこたえられないと話していたから、今夜はまたバーに繰り出してくるだろうよ」

夕方になるのを待ちかねて、仙之助は、ウィルの従者として、アメリカンホテルのバーに入った。カウンターに見覚えのある後ろ姿があった。
「ダニエル船長」

仙之助の声に驚いたように、懐かしい顔が振り向いた。
「おお、ジョンセン、元気そうだな」
「はい、おかげさまで」
「お前の仲間たちは、無事に日本から到着したのか」
「はい、ですが……慣れないプランテーションの仕事で命を落とした仲間もおりました。役に立てなかったかと思うと不甲斐ないです」
「そうか。詳しい事情はわからんが、陸の上でも海の上でも、慣れない仕事で命を落とす者はいる。俺の捕鯨船でもそうした事故は何度もあった」
…………
「元気に働いている者もたくさんいるんだろう」
「はい。ですが、総代の富三郎は、移民を帰国させたいと……
「ユージンが骨を折って移民の渡航を実現させたんじゃなかったのか」
……
「それを帰国させるのか」
…………
「いろいろと複雑な事情がありそうだな。だが、ジョンセン、何はともあれ、お前が元気そうでよかったぞ」
「ありがとうございます」

仙之助は、胸いっぱいに熱いものが込み上げてくるような感じがしていた。
「ジョンセン、お前も一杯飲むか」

戸惑って、仙之助は、ウィルとダニエルの顔を交互に見た。

バーテンダーは、何も言わず、褐色の色がやや薄い、多めのソーダで割ったバーボンを仙之助が座ったカウンターテーブルの前に置いた。

仙之助は、グラスを手にして、恐る恐る口に運んだ。弾ける炭酸の喉越しは、甘いレモネードよりも刺激的で、後からほろ苦さと喉が熱くなるような感覚が追いかけてくる。せつない心境と共に、仙之助にとって忘れられない味となった。

仙之助編十三の九

初めて飲んだバーボンのほろ酔いは、仙之助の心を解放し、饒舌にした。
「鯨のシーズンは終わりだというのに、どうしてホノルルに寄港されたのですが」
「強風でやられちまったマストの修理のためだ。こいつが壊れなければ、ホノルルには立ち寄らなかったよ」
「強風のおかげで私たちは再会できたのですね」
「海はさまざまな偶然の運命を船乗りに与えるものさ」
「夏は、またオホーツク海に行くのですか」
「いや、今年は北には行かない。ジャパン・グラウンドに行く。ボニン・アイランズに行かねばならない用事があるからな」

ボニン・アイランズとは、現在の小笠原諸島のことだった。

ボニン・アイランズ

群島の名前を聞いてもぴんと来ていない仙之助にダニエル船長は可笑しそうに言った。
「ペリー総督が初めて日本に向かった時も立ち寄っている。日本が開国に応じなかったから、ボニン・アイランズを捕鯨船の補給基地にしようとしたらしい。そうそう、お前が尊敬するジョンマンも、何年か前に、日本で捕鯨事業を立ち上げようとして、このあたりを航海していたと噂を聞いたことがある。お前は知らないのか」
「知りませんでした。私はジョン万次郎の英語の教本で学んだだけですから」
「ハハハハ、ジョンマンの本質は、鯨捕りだからな。ジャパン・グラウンドに目をつけた才覚こそ、尊敬しなければならないぞ」
「はい。ボニン・アイランズはアメリカの島なのですか」
「いや、違う。お前の国の島だろう。だが、村の長老は、ナサニエル・セヴォリーというアメリカ人だ。ジョンマンや俺たちと同じ、マサチューセッツの出身だと聞いている」
「日本の島なのに、長老はアメリカ人なのですか」
「ああ、面白い島だろう。そのナサニエルにホノルルと手紙のやりとりを頼まれてきた」
「手紙を渡したら、その後はどこに向かうのですか」
「ジャパン・グラウンドでしこたま鯨を捕るさ。そして……、また横浜に向かうかな」
「横浜……、本当ですか?」
「故郷に帰りたいのか」
「故郷が恋しいのではありません。でも、移民の帰還が本決まりになったら、彼らには新しい旅券が用意されるでしょうが、私には立場がありません」
「そうか。クレマチス号のマストの修理には、まだ少し時間がかかる。それまでに決めれば良い。俺は、お前とまた航海できるのは大歓迎だ」
「ありがとうございます」

隣でじっと二人の会話を聞いていたウィルがぽつんと言った。
「こんなに役に立つスクールボーイに辞められるのは本意じゃないが、お前の人生だ。お前が決めればいい。ずっとハワイにいたければ、その場合は俺がなんとかしてやる」

仙之助編十三の十

ダニエル船長との再会からほどなくして、仙之助はクレマチス号に乗船することに決めた。このままハワイにとどまっていても、もはや仙之助の役目はないと判断したからだった。

富三郎は、一刻も早い移民の帰国に奔走している。おそらく、遠くない将来に彼の交渉は実現するだろう。そうなった時、密航者である仙之助は役にたつどころか、足を引っ張る存在であり、自分自身の身の上にも危険がおよぶ。

密航者として出国した以上は、密航者として帰国するしかない。

一八六〇年代の太平洋において、それを可能にする唯一の手段が、捕鯨船なのだった。

決意を聞いた富三郎は、何も言わずにうなずいた。

仙之助は富三郎に伝えたい思いは山ほどあったが、ユージン・ヴァン・リードを巡る葛藤が、言葉にすることを躊躇させた。

クレマチス号のマストの修理は予定より早く終わり、出港の日を迎えた。

ただひとり、ウィル・ダイヤモンドが桟橋に見送りに来てくれた。

仙之助を強く抱擁すると、耳元で言った。
「お前と会えて、うれしかった。達者でいろよ」
「私もお会いできてうれしかったです。いつかまた……

と言いかけて、再会は限りなくあり得ないことと悟って言葉を飲み込んだ。

次の瞬間、ふいに涙がこぼれそうになって掌で目をこすった。

密航者を乗せた捕鯨船は、夜明け前の静寂のなか、桟橋を離れた。

捕鯨船

ホノルルに入港した時と同じく、仙之助はダニエル船長の指示で船底のキャビンにとめおかれた。今一度、ホノルルの風景を脳裏に焼き付けたいと思ったが、仕方なかった。
「コノヨノゴクラクジョウド……

ハワイへの惜別の思いから仙之助は、ヴァン・リードの口癖を独りつぶやいた。

現実のハワイは、美しくもあり、矛盾にも満ちていた。

それでも花と緑の香りを含んだ風の心地よさだけは、極楽浄土と呼ぶべきものだった。

仙之助の脳裏に、ラニの家で体験した宴のシーンが甦る。

夢とも現とも知れない宵に見た風景もまた、まさにこの世の極楽浄土だった。

とりわけ禁断の踊りの優雅さと妖艶さは忘れることができない。

だが、ここで仲間の命が失われたのも、また事実だった。悲劇がことさらに悲しく、せつなく胸に迫るのは、ここが美しい島だからに他ならなかった。
「おおい、港を出たぞ」

顔馴染みの船員がキャビンの扉をノックした。

デッキに出ると、朝陽を浴びて真っ青な大海原が広がっていた。

振り返ると、ホノルルの市街地はすっかり遠くに去り、何度となく山道を越えたコウラウ山脈の山並みが島影のシルエットを形づくっていた。

また、捕鯨船の冒険が始まる。仙之助は武者震いを抑えられなかった。

仙之助編十三の十一

ボニン・アイランズとは、太平洋に浮かぶ複数の列島からなる群島である。

日本語の「無人(ブニン)島」の読みからとった名称で、一八世紀にフランス人がその名で紹介して以来、欧米ではボニン・アイランズと呼ばれている。

発見者はスペインのガレオン船とも、オランダ東インド会社の探検船とも言われる。

捕鯨の拠点であるハワイとジャパン・グラウンド、そして北太平洋のカムチャッカを結ぶ航路上にあるため、捕鯨船がしばしば寄港した。日本人の漂流者が流れ着くこともあり、江戸時代になると幕府も何度となく探検船を送った。

小笠原諸島という日本語名は、群島の発見者とされる小笠原頼貞(さだより)の名前に由来するが、この名で呼ばれるようになったのは、領有権を主張した幕末以降のことだ。

主要な島は、父島と母島で、それぞれが群島を形成している。

一九世紀の船乗りの間では、イギリス人が命名したピールアイランド(父島)とベイリーアイランド(母島)の呼び名が一般的だった。

一八三〇年、長く無人島だったボニン・アイランズの最初の定住者となったのが、ハワイのイギリス領事の呼びかけによって結成された五人の欧米人、二十人のハワイアンからなる入植者だった。

ダニエル船長が島の長老と呼ぶナサニエル・セヴォリーは、その一人である。

当初、イギリス領事からリーダーに指名されたのは、イタリア出身のマザロだったが、人望に欠ける粗暴な人物だったこともあり、後にセヴォリーが父島の首長となった。

彼らは父島に上陸し、ウミガメの肉と自生するヤシ科のアサイーを食べて暮らしたが、その後、畑を開墾し、野菜を育て、捕鯨船に売って生計を立てるようになった。

一八五二年には、浦賀に来航する前のペリー提督もボニン・アイランズに立ち寄っている。まだ日本が領有権を主張する以前のことで、ペリーはセヴォリーたちをサスケハナ号に招き、歓待した上で「ピール島植民地規約書」なるものを与え、自治組織を作ることを勧めた。アメリカ海軍の傀儡政権とすることを試みたのである。

ペリーとサスケハナ号

日本が開国に応じなかった場合は、ボニン・アイランズをアメリカの自治領とし、捕鯨船の拠点にするつもりだったとされる。

だが、ペリー来航を契機に日本の歴史は開国に動き始める。

一八五九年、日米修好通商条約批准のため、遣米使節団が派遣された。アメリカ艦船、ポーハタン号と共に海を渡った咸臨丸の任務には、ボニン・アイランズの調査も含まれていた。だが、諸般の事情で実行されず、一八六二年にあらためて、外国奉行水野忠德(ただのり)を乗せた咸臨丸を派遣した。この時、先遣隊の通訳として上陸したのがジョン万次郎である。

ジョンマンは、ナサニエル・セヴォリーと面会し、群島の領有権が日本であることを彼らに認めさせたのだった。翌年、彼はジャパン・グラウンドで初めての洋式捕鯨を試みている。

だが、生麦事件以降、幕府の興味は太平洋の群島を離れていく。ジョンマンは、かつての経験を生かし、捕鯨業で一旗揚げる夢を閉ざされ、歴史の表舞台から姿を消す。

仙之助編十三の十二

クレマチス号が、ダニエル船長が「ポートロイド」と呼ぶ父島の二見港に入港したのは、一八五九年八月のことだった。予定より遅れたのは、直前に大きなマッコウクジラを仕留め、その解体作業に時間を要したからだ。

ラニの母親とよく似た容貌の年配女性と、禁断の舞の踊り手を思わせる若い女性が桟橋に立っていた。ハワイからの移住者たちだった。椰子の木が生えた景観もハワイに似ていたが、ホノルルのような西洋建築はなく、粗末な小屋が幾つかあるだけの寒村だった。

ダニエル船長が、彼女たちに用向きを伝えると、こちらだと手招きされた。

船長と共に仙之助も彼女たちの後を追った。草葺きの小屋から出てきたのは、白髪に白い髭をはやした老人だった。骨格は西洋人だが、肌は赤銅色に日焼けしている。
「ミスタ・セヴォリー、ホノルルからお約束の手紙を持って参りました」

ダニエル船長が声をかけると、老人は途端に笑顔になった。
「おお、待っておったぞ。おおい、手紙が届いたぞ」

セヴォリーはハワイアンの女性たちに声をかけた。
「彼女たちが親戚の消息を知りたがってな。私はもう故郷の家族なぞ、とっくに縁が切れているが、お前とは確か同郷だったな。ええと、ダニエル……だったな」
「はい、ダニエルです。ジョンセン、お前も挨拶をしろ」
「はじめまして、ミスタ・セヴォリー」
「ジョンセン……、はて、お前さんはジョンマンの縁者かね」

戸惑う仙之助に代わってダニエル船長が答えた。
「彼はジョンマンと同じ日本人です。私はジョンマンと働いたことがあるのですが、同じように賢いのであやかって名づけました。日本語の本名はセン……何とやらと申します」
「そうか、お前も日本人の鯨捕りか。そりゃあいい。ジョンマンはボニン・アイランズで捕鯨をすると意気込んでおったが、とんと消息がない。お前は何か知っているか」
「すみません。私はジョンマンの書いた教本で英語を学んだだけで、面識はないのです」
「ほう、ジョンマンは鯨捕りをやめて英語の教師になったのか。ジョンセン、もしジョンマンにあったら伝えてくれ。ボニン・アイランズの住人はいつでもお前を待っていると。私は彼の申し出だったから、日本領土にすることを認めたのだ。あいつは、私らと同じ海をねぐらとする人間の匂いがしたからだ。ペリー提督なんかとは違ってな」
「は、はい。わかりました」

仙之助は、姿勢を正して答えた。もちろんジョンマンに会えるかどうかなどわからない。だが、ふと思い出したのが、ホノルルの桟橋で、ロトことカメハメハ五世にいつか歓待すると宣言したことだった。世界の賓客を迎え入れ、もてなすようなことができれば、ジョンマンにも会えるのかもしれない。

ジョン万次郎

横浜に帰るべきか、このままダニエル船長と捕鯨船の航海を続けるか、迷いが生じていた仙之助の心に、漠然とした未来の夢が湧き上がった瞬間だった。

仙之助編十四の一

一八六九年七月下旬、仙之助がクレマチス号で航海し、マッコウクジラと挌闘していた頃、牧野富三郎が再三送った救出嘆願書に対して、ようやく政府が具体的に動き始めた。

ハワイ王国に派遣する政府使節の正使として、薩摩藩出身の上野敬介景範(かげのり)が選ばれたのである。後に初代の横浜税関長、イギリス公使などを歴任する上野は、当時、弱冠二十五歳ながら、語学に長け、外国との交渉に実績があった。命じられた身分は特命全権公使に相当する。随員に選ばれた年上の三浦甫一も経験豊かな人物だった。

同年十月三十一日、上野は外輪船ジャパン号で横浜を発った。晩秋の太平洋は荒れたが、十一月十七日、サンフランシスコに無事到着した。横浜からハワイに行くには、定期航路はサンフランシスコ経由しかなかったのと、事前交渉のためだった。

外輪船が金門湾に入ると、砲声がとどろき、桟橋には多くの人たちが整列して歓迎した。特命全権公使の使節は、国賓待遇で迎えられたのだった。丁髷を結い、羽織袴に大小の刀を刺した上野は、堂々たる武士の風格を備えていた。

随員の三浦とは、サンフランシスコで合流した。一足早くサンフランシスコに入った彼は、髷を落とし、散切りの髪を後ろにまとめていた。

上野と三浦が帆船イサン・アルレン号に乗船し、出発したのは、同年十二月五日。再び二十日余りの太平洋を渡る船旅で、ホノルル港に到着したのは、クリスマスが終わり、暮れも押し迫った十二月二十七日だった。

仙之助が署名をした最初の嘆願書から、ちょうど一年の月日が流れていた。

牧野富三郎は、桟橋に立ち、感慨深い思いで使節一行の到着を出迎えた。コウラウ耕地からも数人の代表者が駆けつけていた。

サイオト号でホノルルに到着した日のことが遠い昔のように思えた。

あの時よりも、日本からの使節を迎える今の方がよほど盛大な歓迎だった。仲間を失って、ようやく自分たちの存在が認められたことに富三郎は複雑な心境だった。だが、ハワイ王国の歓待は、問題の解決のためにはありがたいことだった。

使節の宿舎には、ヌアアウ通りにあるエマ女王の離宮があてられた。

その年、イギリスのヴィクトリア女王の次男エディンバラ公爵が国賓としてハワイを訪れた際、部屋を増築して宿舎にした宮殿である。公爵の滞在した部屋がそのまま彼らの居室となった。まさに最大級の待遇ということだろう。

桟橋では、上野と三浦はハワイ王国の政府関係者に取り囲まれ、富三郎は彼らに近づくことも声をかけることも出来なかったが、その日の夕方に近くになって、あらためて桟橋に出迎えた移民たちと共に離宮での面会を許された。

離宮は、到着後の遠足で仙之助と共に見物に出かけた思い出の場所でもある。その後も、コウラウ耕地を往復するたびに前を通った。だが、富三郎は一度も中に入ったことはなかった。このようなかたちで足を踏み入れる日が来るとは思わなかった。

瀟洒な建物を見上げて、富三郎はふうと深呼吸をした。

仙之助編十四の二

エマ女王の離宮は、白亜の外観と同じく、館内も白を基調にした空間に優雅な調度品がおかれた、噂に違わぬオアフ島で最も美しい建物だった。富三郎が仲間たちと招き入れられた部屋は、赤い絨毯が敷き詰められ、豪華なシャンデリアが煌めく、とりわけ豪奢な部屋だった。部屋の奥に上野敬介景範正使と随員の三浦甫一が椅子に座っていた。

上野敬介景範

富三郎は、どう挨拶したものか逡巡していたが、彼らの羽織袴に大小の刀を差した正装を見て、ごく自然に絨毯の上に正座し、深々と土下座をした。
「表を上げよ」

上野の言葉に従い顔を上げた富三郎は、あらためて顔を見て、その若さに驚いた。
「総代の牧野富三郎でございます。このたびは遠路の長旅、恐縮至極にございます。二名の犠牲者を出したオアフ島のコウラウ耕地からも代表者が参っております」
「嘆願書を書いたのはお前か」
「はい」
「今回のことは、明治政府も重く受け止めておる」
「明治?嘆願書は神奈川の役所宛に送っておりましたが、新政府の世の中になったのでございますか」
「そうだ。本年は明治二年になる。お前たちが出帆したのは明治元年ということだな」

彼らはざわざわと顔を見合わせた。富三郎を含め初めて明治の年号を聞いたからだった。
…………存じませんでした」
「我が国の国民が他国で不当な扱いを受けるのは、新政府として看過できるものではない。その判断が下って、使節の派遣となったのだ」
「ありがたきことにございます」

富三郎は再び深々と頭を垂れた。
「こちらの暦では年の瀬らしいが、早速、重要な接見を用意してくださるそうだ。お前たちの状況も事細かに調査しようと思っておる。采配は、富三郎に任せてよいのだな」
「はい、もちろんでございます。何なりとお申しつけ下さい」

面会を終えて離宮の外に出ると、コウラウ山脈の方角に虹が出ていた。石造りのヴェランダから庭に降りると、草が濡れていた。富三郎たちは緊張して雨音に気がつかなかったが、面会の間、夕立が降っていたらしい。

上野使節は、翌十二月二十八日にはハワイの外務大臣ハリスと公式に面会した。続いてアメリカ公使のピアースとも面会し、彼の配慮により、アメリカ公使館の書記が一人、使節の書記として任命された。

二月二十九日には、カメハメハ五世に謁見し、信任状を手渡した。

そして、暮れも押し迫った三十一日、上野使節は、外務大臣ハリスに二原則からなる要求書を手渡した。すなわち「日本移民をすべて日本に戻す」と「その一部、帰国希望の四十人程度はただちに帰国させる」という内容である。

仙之助編十四の三

日本の使節に対してのハワイ王国の待遇は手厚く、対応は懇切丁寧だった。

だが、上野節の要求はすぐには受け入れられなかった。まずハワイ側と対立したのが、ユージン・ヴァン・リードの立場だった。ハワイ王国が彼を駐日ハワイ領事に任命したことは紛れもない事実だったからだ。

これに対して、上野はハワイ王国が徳川幕府の時代に取り交わした任命は、明治新政府に対しては無効だと抗弁した。

次いで上野は、ヴァン・リードが政府の許可しない移民を独断で送った行為は不法行為であると問い詰めた。ハワイ王国は、徳川幕府がいったん許可をして、旅券も発行したことを強調した。さらにサイオト号の出航を許可したのは明治政府であることを突きつけた。

一方、上野は旧幕府から明治政府に日本の主権が代わったことを主張し、それにも関わらず、新政府からの新たな旅券の発給を待たず、うやむやのうちに出発したヴァン・リードの否を追究した。

上野は、富三郎の案内でコウラウ耕地にも出向いている。

コウラウ耕地の工場

実際に移民たちに会ってみると、帰国を懇願する者と、新しい環境に慣れて契約期間の満了までハワイにとどまって働くことを希望する者とがいることもわかった。

年長の代表者に混じって、マムシの市こと、石村市五郎が前に進み出て、最大の要求は給料を上げてもらうことで帰国することではないと上野に直訴した。

一年余りの年月で背丈も伸び、日焼けして筋骨たくましくなり、もはや少年の風貌ではなくなっていた。口が達者なのも拍車がかかってきた。耳学問で英語も操るようになり、ルナともめ事があると、交渉役をすることもあるという。
「一番難儀しているのは物価が高いことです」

物価の高さは上野自身も難儀していたので、なるほどと納得した。ハワイ王国は宿舎を提供してくれたが、それ以外の経費は自腹だった。対等な交渉を進めるためには、過度に相手国の温情に甘える訳にもいかなかった。

上野の説明によって、移民たちは初めて、幕府から新政府への政権の移行により、自分たちの旅券が失効してしまった事実を認識した。

富三郎は、ユージン・ヴァン・リードが肩書きを詐称した悪徳商人ではなく、旧幕府との正式な取り決めで駐日ハワイ領事に任命されていたことをあらためて知り、自分の思い込みを心の奥で恥じていた。ヴァン・リードを信じながら富三郎を糾弾もしなかった仙之助のふるまいには、今さらながら頭が下がる。旅立つ彼にどうしてもっと心ある言葉をかけられなかったのか、後悔の念が湧き上がっていた。

交渉は難航したが、一八七〇年一月十一日、ようやく合意にこぎつけた。

即時帰国を望む四十人の名簿をまとめると同時に、残留者の待遇改善と、契約内容に違反する事項の是正をハワイ王国に約束させた。さらに契約期限満了後の帰国希望者は、ハワイの費用で送り届けることまで承認させたのである。

仙之助編十四の四

ハワイ政府との取り決めの調印書には、上野景範使節の希望により、駐在の米国公使ピアースと、英国総領事 J・H・ウッドハウスが証人として署名した。約定が国際法とハワイの法律に抵触しないこと、またハワイ政府が承認したものであることを両者の合意の下に声明するためだった。

慎重な物事の進め方は、弱冠二十五歳の若き外交官の手腕であり、補佐役の三浦の緻密さのなせる技でもあった。電信や電話もなかった時代のこと、定期航路もない日本とハワイの間では文書のやりとりもできない。本省との確認もままならぬ状況で、彼らは自らの判断で最善の成果を成し遂げたのだった。

この取り決めをもって、違法渡航者とみなされた者たちは、歴史の闇に葬り去られることなく、正式に日本で最初の海外移民となったのである。

そして、彼らは元年者と称されることになる。

調印と声明の内容は、当事者である日本人移民たちにも広く知らされたが、これにもとづき牧野富三郎は、あらためて上野から移民頭として任命され、彼の任務をしたためた「覚書」が手渡された。

サイオト号で横浜を発った移民たちは、不運にも命を落とした四人を除くと総勢は一五一人だった。そのうち帰国希望者は四〇人であり、残り三分の二以上の者たちが残留を希望したことになる。

富三郎の責任は大きかった。これまでにもまして、移民たちの労働環境や生活状況を把握することが求められ、問題があればハワイの政府に直訴することとされた。月に一度は、オアフ島だけでなく、離島も含めた現地視察に赴くように定められた。
「今後のことは、くれぐれもよろしく頼んだぞ。お前だけが頼りだ」

頭を垂れて上野の言葉を心に刻んだ富三郎は、面を上げると神妙な表情で答えた。
「かしこまりました。精一杯お役目を務めさせて頂きます」

富三郎は、横浜を出発した時の沸き立つような気持ちが再び湧き上がるのを感じていた。仲間たちの相次ぐ死に直面し、目の前の出来事を解決することで精一杯だったが、状況が落ち着いてみると、異国に赴くことを切望した当初の感情がよみがえってくる。
「この島国は……、思いのほか、美しいところだな」

上野は、唐突に言った。
「炎熱下での労働が厳しいことは容易に想像がつくから、物見遊山のような物言いは憚れるが、朝晩に吹く風の心地よさと、雨の後に決まって空に出る虹の美しさは忘れられぬ」
「さようでございますね」

富三郎は、仙之助もこの風を愛したことを思い出していた。密航者として捕鯨船で太平洋を渡り、大変な苦労をしたに違いないのに、俊才の上野と同じように、自分の責務を全うしながら、ものごとの良いところを見抜く眼力を持ち合わせていた。移民たちのまとめ役は彼こそがふさわしかったのに、ここに仙之助がいないことが無念でならなかった。

仙之助編十四の五

一八七〇年一月二十日、重責を全うした上野景範使節の一行は、ホノルル港からサンフランシスコに向けて出帆した。桟橋には、富三郎以下、オアフ島在住の移民たちが集まって、恩人の帰国を見送った。

移民たちの送還は、彼らの書記に任命されたフーバーに一任された。

帰国希望者は四十人、ハワイ上陸後に生まれた二世の新太郎と、捕鯨船に助けられて、ハワイ在住だった漂流民の二人も帰国を希望し、一行に加わった。

何らかの理由で捕鯨船に乗った日本人がハワイに流れ着くことは仙之助以外にもあったことだったのだ。仙之助が彼らと違ったのは、英語を話す乗組員として、自らの意志で、ハワイまで来て下船し、再び自らの意志で、ハワイから捕鯨船に乗り組んだことだった。

総勢四十三人の日本人は、フーバーの計らいで、使節の帰国からほどなくして、ホノルルから直接、横浜に向かうR・H・ウッド号に乗船し、サンフランシスコ経由で定期航路に乗り継いだ使節一行より先に横浜に到着したのだった。

その後、サトウキビ・プランテーションでの待遇や報酬が格段に向上した訳ではなかったが、ほかの外国人労働者との待遇格差はあらためられ、大きな問題はなくなった。自ら残留したのは野心と順応性のある者だったことも理由と言えた。

最年少のマムシの市こと、石村市五郎はもちろん残留組のひとりだった。

彼らの働いていたコウラウ耕地のワイルダー・プランテーションは、オーナーの息子の事故死をきっかけに悪い噂がたったこともあり、上野使節の来訪からまもなくして経営が立ちゆかなくなり、廃業してしまった。だが、移民としての契約はまだ残っていたので、希望者は同じ元年者が入植していたマウイ島のハイク耕地に移ることになった。

一番に手をあげたのがマムシの市だった。

マウイ島は、捕鯨の基地として栄えたところでもある。ホノルル以前の首都であったラハイナは西マウイにあり、ハイクはそれとは反対の東マウイにあった。ホノルルから帆船で二昼夜かけて到着したのは、マリコ・ガルチと呼ばれる切り立った崖に囲まれた入り江だった。マムシの市たちは、そこから徒歩で目的地に向かった。

ハイク耕地は一八六一年から操業が始まったプランテーションで、コウラウ耕地にもまして、人里離れた寂しいところにあったが、工場には最新鋭の機械が設置されていた。ハワイで最初にサトウキビの精製に蒸気機関を導入したところでもある。

ハイク耕地

元年者の契約期間が終わる年、一八七一年に工場主として着任したサミュエル・T・アレクサンダーは、のちに合流するヘンリー・P・ボールドウィンと共にハイクをさらに発展させることになる。先見の明のあった彼らは、後に次なる産業として、ハワイで最初のパイナップル・プランテーションを切り拓き、缶詰の工場を建設した。

マムシの市は、ハイク耕地に入植していたウミウミ松こと、桑田松五郎という髭男とたちまち意気投合した。契約期間を勤め上げた後もハワイにとどまり、何か大きなことを成し遂げたい野心が、彼らを結びつけたのだった。

仙之助編十四の六

ウミウミ松と親しくなったマムシの市は、一旗揚げる元手を貯めるため、マウイ島のハイク耕地で懸命に働いていた。ところが、ある日、思わぬ事故に遭遇してしまう。工場の最新式の機械に彼の右足が挟まれてしまったのだ。
「うあーあ、ああーあ、い、痛い、痛い。助けてくれ」

必死の叫びが工場に響き渡った。
いち早く気づいたのがウミウミ松だった。
「エマージェンシー、エマージェンシー」

機転を利かせて、工場全体に緊急事態を知らせたおかげで、マムシの市は、危うく全身が巻き込まれる前に助け出された。

急死に一生を得たものの、骨折した右足は重傷だった。

幸いだったのは、上野使節が取り決めをかわした以降の事故だったことだ。工場長は、医者を呼んで手当を受けさせ、まもなく、ホノルルからも牧野富三郎が駆けつけて、工場内での事故であることから、休業中の生活保障を交渉した。

しばらくして、何とか動けるようなったが、サトウキビ・プランテーションの過酷な労働にはすぐに復帰できない。そこで、近隣で大工をしていたワーケン夫妻の家で料理人として雇ってもらうことになった。

もちろん、マムシの市に西洋料理の心得などない。だが、コウラウ耕地で仲間が亡くなった後、富三郎と仙之助がしばしば訪ねて来ていた頃、スクールボーイの経験がある仙之助から西洋料理の基本を教わったことがあった。当時はそれを職業にすることなど、考えもしなかったが、持ち前の好奇心の強さで興味を持った。料理を覚えれば、手に入る材料で少しでもましなものを食べられるという思いもあった。コウラウ耕地の中国人コックが作る料理は油臭さが鼻をついたが、仙之助が作る西洋の卵料理は美味しかった。

ワーケン夫妻の話は富三郎を介して持ち込まれた。
「下働きならともかく、いきなり料理人は難しかろう」

難色を示す富三郎に、マムシの市は食い下がった。
「大丈夫です。仙太郎さんから西洋料理の手ほどきを受けています。たいしたものは作れませんが、朝食の卵料理なら任せて下さい」
「仙太郎……、そうか。あいつから習ったのか」

一時期、ホノルルで同居していた頃、朝になると西洋式の卵料理をよく作ってくれたことを富三郎は思い出した。
「仙太郎仕込みなら、まあ、なんとかなるか」
「はい、大丈夫です。ぜひお願いします」

マムシの市としては、プランテーションの労働に戻るより、住み込みの料理人になれるほうがずっといいと思ったのだ。もっとも、これが彼の人生を決定づける出来事になるとはこの時はまだ、予想もしていなかった。

仙之助編十四の七

一八七一年六月、元年者たちがハワイに上陸して三年の月日が経った。

契約満了の日が近づくにつれ、その後も日本に帰国せず、ハワイに残りたい、あるいはアメリカ本土に渡りたいという声があがるようになる。上野敬介景範使節の来訪後も残留を希望したのは、環境にも順応し、意気盛んな者たちだったから当然のことだった。

牧野富三郎は、これらの要望をとりまとめ、ハワイ滞在許可とアメリカ渡航許可を日本政府に申請した。上野の交渉当時には契約満了後は全員帰国が原則だったが、この頃は日布通商条約の締結を控えていたこともあり、ハワイ残留もアメリカ渡航も本人の希望次第と認められた。牧野を通して旅券申請が行われ、四三人がハワイ滞在の、四六人がアメリカ渡航の旅券を手にしたのだった。

マムシの市こと、石村市五郎は旅券を渡されると小躍りして喜んだ。

骨折した足の負傷も癒え、料理人としての腕も上げ、大工のワーケン夫妻にもすっかり気に入られていた。彼の気持ちとしては、もはや帰国など考えられなくなっていたからだ。
「富三郎さん、ご尽力ありがとうございます。これで何でもできますね」
「そうだな、大手を振ってハワイに滞在できる。仕事の調子はどうだ?」
「はい、順調です。どんな西洋料理だって作れますよ」
「そうか。それは頼もしいな。得意料理は卵料理か」
「お前の作るオムレツは一級品だと褒められますが、それだけじゃありません。仙太郎さんが教えてくれたもうひとつの料理も好評です」
「もうひとつの料理?」
「ステーキパイです」
「それは聞き覚えがないな」
「仙太郎さんがスクールボーイとして住み込んだ家のご主人の好物だったそうで、肉とタマネギを炒めてパイで包んだ料理です。ワーケン夫妻も、懐かしい味だと褒めて下さいました。仙太郎さんのご主人と同郷なのかもしれませんね」
「仙太郎は……、たいした奴だったな」
「私にとっては恩人です。仙太郎さんの手ほどきがなかったら今の私はありません。達者でおられるのでしょうか」
「無事に帰国していればいいが……

富三郎は自分自身に問いかけるようにつぶやいた。

酒場で船員らしき男たちを見るたびに仙之助のことを思い出す。

とりわけ捕鯨船の出入りが頻繁になるクジラの季節になると、無意識のうちに仙之助が乗船したクレマチス号を探していて、はっと我に返ることがあった。

そんなある日のこと、富三郎のもとにひとりの船員が訪ねてきた。

アジア系の顔をしているが、日本語を話す訳ではない。中国人なのだろうか。

片言の英語で、富三郎の名前と住所を確認すると、握りしめていた封書を手渡した。

仙之助編十四の八

謎の船員がドアを叩いた時から、富三郎の胸には「もしや」という期待があったが、封書の表書きを見た途端、心臓の鼓動が高鳴った。
「牧野富三郎殿」

英語の住所と名前の下に黒々とした毛筆で、見慣れた筆跡の日本語が記されていた。

手紙を受け取る牧野富三郎

クジラの季節はもう終わっている。

富三郎が怪訝そうに顔を覗き込みむと、アジア系の男は言った。
「ヨコハマから、マーチャントシップ(商船)できた」
「そうか、そうか。横浜で手紙をことづかったのか」
「ホノルルに行くと言ったらこれを渡してくれと頼まれた。お前がこの男か」
「そうだ」

富三郎の返事を聞くと、男はにやりと笑った。

待ちに待った仙之助からの便りだった。

はやる気持ちを抑えながら手紙の封を開けた。薄汚れた封筒がここまでの長い道のりを物語っていた。

牧野富三郎殿
クレマチス号で小笠原諸島を経由して無事横浜に到着した。
私も父上の粂蔵旦那も達者でおるので安心してほしい。
横浜の遊郭は豚屋火事の後、吉原町に移転し、岩亀楼と神風楼は再建をなした。今や神風楼は、岩亀楼と肩を並べる大店である。
それと言うのも父上が異人の客を岩亀楼だけが独占するのはいかがなものかと注進したからだった。以来、どの店でも自由に異人の客をとることができるようになり、神風楼もおおいに繁盛している。
お前の尽力により日本から使節が派遣され、万事交渉が上手くいったことは聞いた。あらためてお前の手腕には感心しておる。
まもなく移民の契約満了を迎えるが、その後の身の振り方はどうするのか。
帰国するのか、ハワイにとどまるのか。帰国するのであれば、ほどなく再会できるだろうが、そうでないのなら、お前の便りがほしい。
横浜に戻ったら、幕府の時代は終わり、新しい明治の時代になっていて驚いた。
神風楼には異人のほか、新政府の高官もやってくる。父上は彼らとも親しく交わり、新しい時代の行く末を見ている。
横浜の港に捕鯨船が入港するたび、再び乗船したい衝動にかられる。だが、鯨捕りになるのが、私の人生の目的なのかどうかもわからない。
しばらくは横浜にいる。お前の便りを待っている。

明治四年三月 山口仙之助

仙之助編十四の九

仙之助の手紙を読み、富三郎は目頭が熱くなるのを感じていた。

まずは無事で元気でいることがうれしかった。

手紙が届いたことも奇跡だったが、仙之助が自分に手紙をくれたことが富三郎はうれしくてしかたなかった。しかも文面に別れ際のわだかまりを感じさせるところは微塵もない。
「仙之助……、お前って奴は」

富三郎はいてもたってもいられなくなった。

日付は月だけが記されていた。日本語で書かれているので旧暦なのだろうか。新暦とすれば三ヶ月、旧暦であれば二ヶ月を要したことになる。横浜に着いたのがいつだったのか、すぐに書いた手紙なのか、そのあたりのことはよくわからない。

仙之助に返信を出さなければ。

捕鯨船の入港がない季節、横浜に直接向かう船は限られていた。あの船員が乗ってきた商船が再び横浜に行かないだろうか。

富三郎は慌てて、ダウンタウンの表通りに出た。

左右を見回したが、謎の船員の姿はもうなかった。

港の方向に向かって富三郎は走った。ヌウアヌ通りの峠の方角に行くはずはない。

返信を書いていないどころか、自分自身の身の振り方を決めた訳でもなかったが、とりあえず手紙を託す算段をしておきたい。富三郎は必死だった。

手紙を届けてくれた船員の姿は見つけられないまま、富三郎は港の桟橋に立ち尽くした。

すると、目の前に停泊している船の甲板にあの船員が立っているではないか。
「ハロー。ハロー」

相手の名前も聞いていなかった富三郎は、闇雲に大声で叫んだ。

すると、声に気づいた船員が富三郎のほうを向いて、にやりと笑って手をふっている。
「お前の船は、ホノルルを出港してどこに行く?」
「サンフランシスコ」

返事を聞いて、富三郎は落胆した。

肩を落として、桟橋を離れようとした時、ふいに背中を叩かれた。

船を降りてきた船員が、またにやりと笑っている。
「横浜に手紙を届けたいのか」
「そうだ。でも、お前の船はサンフランシスコに行くのだろう」
「サンフランシスコで荷を積み下ろしたら、また横浜に向かう」
「本当か?」
「船長がそう言っている。手紙があるなら預かっていく。お前への手紙を渡した男の居場所はわかっている」
「出港はいつだ?」
「今夜だ」

仙之助編十四の十

富三郎は、直ちに仙之助への手紙を書くことを決意して、港を離れた。

移民たちの契約終了後、富三郎にも彼らと同じ選択肢が与えられていた。すなわち、このまま帰国するか、ハワイにとどまるか、アメリカに渡航するかのいずれかである。

ハワイに来てからの日々は、困難な出来事も多く、苦労も多かったが、自分なりにそれらを首尾良く乗り切った自負もあった。仲間の死に遭遇し、労働に慣れない者たちを帰国させるまでが無我夢中だったが、こうして一段落してみると、あらためて異国に来ることができた喜びは大きかった。

富三郎は身の振り方をまだ決めかねていた。だが、ここで帰国するという選択肢はない、と考えていた。あとはハワイに残るか、アメリカに新天地を求めるかである。

マムシの市こと、石村市五郎は、契約終了後は、同じマウイのハイク耕地で働く数名の者たちとホノルルに出て仕事を見つけると張り切っていた。

事故がきっかけで偶然、身につけた料理の腕前で身を立てようと目論んでいるらしい。

富三郎は、あらためて自分はハワイで何を身につけたのだろうと考えた。

総代として、移民たちをとりまとめた自負はあるが、ことさらに身を立てるほどの技能が身についた訳ではない。英語も日常の意思の疎通に問題がない程度には上達したが、学校に通うこともなかったので、読み書きはままならず、仙之助ほどの語学力は身についていない。

帰国しないのなら、まだ多少は勝手のわかるハワイにいた方がいいのかもしれない。

富三郎は、机の前で逡巡していた。

遅い昼食を簡単にすませると、思い立ったように筆をとった。

山口仙之助殿
無事に帰国された由、何よりのことと喜んでおります。
ご丁寧な手紙を頂戴し、感激至極にございます。
神風楼の繁盛ぶりも我がことのように嬉しく拝読致しました。
お陰様で、私は達者にしております。早いもので契約満了の日が近づいてきました。
その後は、四三名がハワイでの残留を希望し、四六名がアメリカ渡航を希望し、それぞれに旅券の手配を致しました。
アメリカに渡航を希望する者が多いのは、サンフランシスコで銀の鉱山が見つかり、労働者が求められているとの噂を耳にしたからです。一旗揚げるとみな意気軒昂です。
彼らを見送った後、私もサンフランシスコに渡航する所存です。
彼の地で仙之助殿と再会できるのならば、これほどの喜びはありません。
サンフランシスコに到着したら、また便りを致します。
粂蔵旦那にもよろしくお伝え下さい。

牧野富三郎

仙之助編十四の十一

富三郎は、したためた手紙に封をすると、再び港に急いだ。

ダウンタウンの通りに出ると、強い風が吹いていた。

帆船の航海にはいい風だ。今夜の出港とは言っていたが、船長の気まぐれで早い出発もあるかもしれない。

息を切らして埠頭に辿り着くと、あの商船は午前中と同じところに停泊していた。

富三郎は、中国人船員に名前を聞き忘れていたことを思い出した。

しかたがない。また大声で叫ぶしか無かった。
「ハロー、ハロー」

欧米人の船員が甲板に姿をあらわし、怪訝そうな顔で富三郎を見た。
「チャイニーズの船員を呼んでくれ」

富三郎が叫ぶと、わかったという表情をして船室に姿を消した。

しばらくして、ようやく、あの船員が甲板に出てきた。
「手紙を持ってきた。横浜の、お前が手紙を受け取ったところに渡してくれ」

富三郎は、そう言って手紙を渡した。
「大丈夫か」

不安げに問いただすと、船員は言った。
「大丈夫だ。確かに手紙は預かった。ジン……、ジンプー」
「ジンプーローだ」

そう返すと、船員は、にやっと笑って言った。
「ジンプーローにはいい女がいる」

その言葉に富三郎は、手紙は間違いなく届くと確信した。

粂蔵が再興した神風楼は、船員たちに人気の店になっている。手紙があろうが、なかろうが、彼らは神風楼に行くに違いない。

富三郎は、記憶の中にある、火事で焼ける前の神風楼を思い出していた。

繁盛しているのなら、横浜に帰る選択肢もあったのかもしれない。手紙を渡せる機会を失いたくなくて焦って決断したのは、最も困難な道だった。だが、富三郎は、仙之助の手紙の行間に、再び未知なる世界に飛び出したくてうずうずしている彼の本意を読み取っていた。

ハワイへの渡航を決めた時と同じように、また彼に背中を押された気がしていた。
「サンフランシスコか……

富三郎は、思わず空を見上げた。

そして、独り言をつぶやいた。
「サンフランシスコで、仙之助と一旗揚げるか」

契約満了後の移民たちにアメリカへの渡航希望者が多いことも、背中を押されたもうひとつの理由だった。サトウキビプランテーションでは稼げる金はたかが知れている。ホノルルよりも、いっそのこと新天地で夢を追いかけたい者が多かったのだ。

仙之助編十四の十二

サンフランシスコの繁栄は、一八四八年にカルフォルニアのサクラメント郊外のコロマで金が発見されたことに端を発する。西部開拓史上最大の出来事、カリフォルニアのゴールドラッシュである。金鉱発見のニュースはたちまち世界に知れ渡った。

発見の翌年、一八四九年に一攫千金を夢見てカリフォルニアに集まった人たちを「フォーティーナイナーズ」と呼ぶ。サンフランシスコの人口は、四八年の千人からわずか一年で二万五千人にまで増えた。

東部のマサチューセッツ州にいたジョン万次郎もゴールドラッシュの噂に興奮した一人だった。日本に帰国するための資金を稼ぐ好機と考えたのだ。一八五〇年、遅ればせのフォーティーナイナーズとしてカリフォルニアにやって来た。

一八五〇年までに、容易に採掘できる金は掘り尽くされた。金の供給量の増大により、金の価格が暴落。まもなく熱に浮かされたブームは終焉する。

だが、ゴールドラッシュによって、未開の地だった西部が注目されたことは歴史を動かした。一八五〇年にカリフォルニアは州となり、アメリカは西海岸のその先にある太平洋に目を向けるようになり、新たな外交政策が始まった。ペリーの黒船来航も、遠因はゴールドラッシュだったことになる。

カリフォルニアの人口増加は、西部と東部を結ぶ交通網の発展にもつながった。一八五五年には後のパナマ運河につながるパナマ地峡鉄道が開業。一八六九年には大陸横断鉄道が開業した。

一八七〇年のサンフランシスコは人口十五万人の都市になっていた。

サンフランシスコの港

ゴールドラッシュの熱を帯びた時代は過去のものだったが、一八五九年に隣接するネバダ州バージニア山脈の東斜面コムストック・ロードという銀鉱山が発見され、再びの興奮がカリフォルニアにももたらされた。

ハワイの移民たちが聞きつけた噂とは、この銀鉱山である。

ゴールドラッシュのフォーティーナイナーズたちのように川で砂金を集めて、それが金になるような一攫千金の話ではなく、単に鉱山労働者が求められていたのだが、カリフォルニアと言えばゴールドラッシュが有名だったから、遠いハワイにいた彼らが銀鉱山の話をその再来と考えたとしても無理はない。

アメリカ本土への日本人移民は、一八六九年に戊辰戦争に敗れた会津藩士たちが、会津藩と商売をしていたジョン・ヘンリー・スネルと共にカリフォルニアに渡った者たちが最初とされる。茶の生産などを行った入植地は、彼らの故郷、会津若松市にちなんで「若松コロニー」と呼ばれた。

ハワイから渡航した元年者たちは、彼らに続くアメリカの日本人移民ということになる。もっとも契約終了していた彼らは、組織だって行動することはなかった。

富三郎がサンフランシスコ行きを決めたのは、意気軒昂な彼らに背中を押されたのと同時に、彼らの行く末を案じたこともあった。

仙之助編十五の一

山口仙之助を乗せた捕鯨船、クレマチス号が横浜に寄港したのは、西暦の一八六九年の晩秋、旧暦では明治二年の暮れ近くのことだった。

明治政府になってから、幕末の混乱期より入国審査が厳しくなっているのをダニエル船長は承知していたので、東京湾の入り口、三浦半島の観音崎沖に入った頃から、仙之助は船底の船室に留め置かれた。万が一のため、積み荷に見せかけるための麻袋を被って、仙之助は息を殺しながら、甲板に駆け上がっていきたいのを我慢していた。

十六歳で密航してから二年余り、実に二年ぶりの帰国だった。

入港後も港のざわめきを遠くに聞きながら、なおも船室で息を殺した。

ホノルルの時と同じように、目深に帽子を被って上陸したのは、夜遅くのことだった。

上陸直前、ダニエル船長は、船底の船室にやって来て、何も言わずに仙之助を抱きしめた。
「ジョンセン、私の息子……

耳元で小さくささやいた。
「息子……
「そうだ。お前のことは、私の息子のように思っている。この広い太平洋で、二度までも、偶然お前と巡り会い、同じ船に乗った」
「船長との出会いがなければ……、私の運命は開けませんでした」
「お前と会えてうれしかったぞ」
「私もうれしかったです。特に……、ホノルルでの再会は夢のようでした」
「そうだな。だが、さすがに、もう会うことはないだろう」
「はい……

仙之助はしんみりとした表情でうなずいた。

心のどこかに、いつまでもクレマチス号で航海をしていたい気持ちがあった。だが、捕鯨船の乗組員が、自分の将来を賭けてやりたいこととは思えなかった。
「今度、海を渡るときは、堂々とお日様の当たる時間に入港できる身分で行け」

そう言われて、仙之助は思わず笑った。
「二度も密航者の面倒を見て下さり、ありがとうございました」
「ハハハハ、まったくだ。二年ぶりで、こんな真夜中に自分の家の方角がわかるか」
「キャビンボーイのマイクが一緒に行ってくれるそうです。ジンプーローならよく知っているそうです。馴染みの女がいるとかで」
「そうか、そうか。そうだったな。ジンプーローは有名だ」
「はい、おかげさまで」

仙之助の返答にひとしきり笑った後、ダニエル船長は真面目な表情で言った。
「幸運を祈る」

ダニエル

そして、抱擁を解き、ぽんと突き放すように背中を押した。

仙之助は、そのまま振り返ることなく、船室のドアを閉めた。

仙之助編十五の二

二年ぶりの神風楼は、何もかもが変わっていた。

仙之助がクレマチス号で出帆したのは、豚屋火事からの復興前だったから、吉原町遊郭に再建された新しい神風楼への道のりは、一人ではわからなかったに違いない。

以前は岩亀楼が異人客を独占していたので、馴染みの客がこっそり通ってくるだけだったが、明治維新の年に粂蔵が役所にはたらきかけて神風楼でもおおっぴらに異人客をとれるようになってからは船員たちにも人気の店になっていた。

だが、なにより驚いたのは、家族が増えていたことだった。

養父の山口粂蔵の故郷、下野国の石橋から呼び寄せられ、養女になった女性だった。

仙之助の四歳年上の二二歳、名前をトメといった。

粂蔵に紹介されたトメは、居住まいを正すと仙之助に挨拶をした。
「はじめまして。トメと申します。あなたが捕鯨船に乗って天竺に行っていたっていう、噂の仙之助さんだね。ご無事にお帰りになられて本当に良かった」

何とも妖艶な美人だった。地味な小紋の普段着なのに、パッとあたりを華やかにする雰囲気がある。年齢以上に年上に見えるのは、物怖じしない態度のせいもあるのだろう。

22歳のトメ

「は、はじめまして」

押し出しの強さに気圧されながら仙之助は返事をした。
「一人で異国に行くなんて、どんな屈強なお方かと思いきや、こんな細面の美男子とは、驚きました。さぞかし異国でも、おもてになったでしょう」

仙之助が返事に窮していると、粂蔵が制して言った。
「年下の仙之助をあんまりからかうものじゃないぞ、トメ」

そう言いながら、粂蔵は上機嫌に笑っている。

トメのこうした世慣れたところが、粂蔵は気に入っているのだろう。遊郭の女将として、うってつけといえた。まだ横浜に来て日が浅いのに、店の采配にも腕をふるっているという。

粂蔵には実の娘も二人いて、長女はテツ、次女はヒサといったが、二人ともまだ年若く、遊郭を取り仕切るような才覚は感じられなかった。

粂蔵がトメに目をつけて横浜に呼び寄せたのは、時代の潮目にあって、商売のさらなる拡大を目論んでいたからでもあった。

大政奉還から二年、明治という新しい時代がようやく輪郭をあらわそうとしていた。

人々の生活は、江戸時代と変わらなかったが、政府の中枢では、近代化に向けての動きが始まっていた。中心となったのが伊藤博文と大隈重信を中心とする改革派だった。

なかでも当面の大事業とされたのが鉄道の敷設だった。

全国に鉄道を敷く計画の手始めとして、新橋・横浜間の建設が決定したのが明治二年の十二月。まさに仙之助が帰国した時期にあたる。

技術と資金を援助したのはイギリスだった。鉄道は反対派も多く、伊藤と大隈は暗殺の危機さえあったと言うが、駐日公使ハリー・パークスの援助により計画は進められた。

仙之助編十五の三

横浜で鉄道敷設にいち早くかかわったのが、高島たかしま嘉右衛門かえもんだった。

もとは江戸の材木商だったが、佐賀藩の家老と縁があり、伊万里焼を扱う商売を持ちかけられ、開港地まもない横浜にやって来た。商売はすぐに軌道に乗ったが、日本と外国の金銀の交換比率の差に目をつけた闇取引に手を染め、投獄される。

嘉右衛門を名乗るようになったのは出獄後のことである。

横浜に戻り、再び材木商になり、異人館の建設を次々と任され、莫大な富をなした。その資金で始めた商売が旅館業だった。

関内の尾上町にあった高島屋は、威風堂々たる豪華な建築で、履物を履いたままで入館する和洋折衷の設えが目を引いた。旧幕臣の娘たちや大奥で仕えていた女中を集め、一流の礼儀作法と立ち居振る舞いで客をもてなした。商人宿しかなかった横浜で、高島屋は、たちまち政財界の大物や異人が集まる社交場として人気を博するようになる。日本人が手がけた最初の「ホテル」と言ってもさしつかえなかった。

さらに嘉右衛門には、もうひとつの武器があった。易の知識に秀でていたのである。

政財界の大物たちは、こぞって嘉右衛門に未来を占ってもらおうとした。一方の嘉右衛門も易で人相を見て、見込みのある人物には積極的に近寄った。

その見込んだ一人が、鉄道敷設を推し進めることになる伊藤博文だったのである。

嘉右衛門は、自身の所有していた神奈川の青木橋から野毛の富士見橋までの湿地を埋め立てて、鉄道敷設の用地とすることを伊藤と大隈に持ちかけた。

新橋から横浜まで、日本で最初の鉄道は、全線二九kmのうち約十km、すなわち三分の一が海上に敷設された線路だった。嘉右衛門の土地もその一部になる。

この時、埋め立てた土地が、彼の名前をとって、後に高島町と呼ばれることになる。

だが、鉄道用地となったのは、埋め立て地の一部にすぎなかった。

嘉右衛門は残りの土地も他の用途に使い、利益を上げる心づもりがあった。

まず思いついたのは農地にすることだったが、海岸沿いの潮を含んだ土壌は農地には適していなかった。そこで嘉右衛門は、遊郭を誘致することを思いつく。

唐突なようだが、開港地にとって、遊郭は重要な商売とみなされていたのである。

豚屋火事の後、吉原町に再興した遊郭を移転させる計画はあったが、候補地にあがっていたのは、中心地から離れた辺鄙な界隈だった。埋め立て地を遊郭とする許可はおりなかった。

そこで、嘉右衛門は、二大遊郭であった岩亀楼と神風楼に先に声をかけることにした。彼らが候補地に大店を構えてしまえば、既成事実になると考えたのである。

嘉右衛門から声をかけられた粂蔵が浮き足立ったのは言うまでもない。

二大遊郭とみなされたことも誇らしかったし、岩亀楼に肩を並べる大店としての名声をゆるぎないものにするまたとない機会だと心が躍った。

早速、新しく普請する店の詳細を詰めるため、粂蔵は嘉右衛門と面会する段取りをとりつけたのだった。

仙之助編十五の四

高島嘉右衛門の営む旅館、高島屋は威風堂々たる造りの日本建築だった。

玄関を入ると、品の良い女中が出迎えてくれ、履物のまま入るように促された。粂蔵と仙之助が案内されたのは、西洋館を思わせる内装の応接間だった。

まもなく、主人の嘉右衛門が入ってきた。

面長の細面で眼光鋭い男だった。

高島嘉右衛門

ひとしきり粂蔵と仙之助を嘗め回すように見ると、居住まいを正し、椅子に座った。

人を見抜くことにただならぬ眼力があると聞いてはいたが、噂どおりの人物らしい。
「神風楼さんだね。ようお出で下さった。最近のご繁盛ぶりは噂に聞いておりますよ」
「恐縮でございます。私は当主の山口粂蔵、こちらは養子の仙之助です」
「はじめまして。お目にかかれて光栄です」

仙之助は、嘉右衛門の眼力に負けまいと、目線をあわせて挨拶をした。
「ほほう、賢そうな跡取りではないか。西洋人のような挨拶をするのだな」

唐突に言われて、仙之助は困惑して返事に窮した。
…………
「人の目を見て挨拶をするのは、西洋人の作法であろう」
…………
「異国には行ったことはないが、異人の商人たちとは、さんざん商売でやりあった。あいつらと対等に話をするには、目を見て話をすることが肝心だ。お前、ずいぶん若いのに彼らの作法が身についているとは。さては、洋行帰りか」
「あ、いや……
「私は獄に入ったこともある。何も隠すことなぞない。さては、密航か」

いきなり図星を当てられて、仙之助はさらに困惑した。
「は、はい」
「ハハハハ、そうか、そうか。維新の前は、異国に行くのはご禁制だったのだから仕方あるまい。薩摩や長州のお偉いさんたちも密航したのだからな。お前は、密航してどこに行ったのか。パリーか、ロンドンか」
「いや、パリーやロンドンのことは存じません」
「では、メリケンか」
「いえ、メリケンでもなく……
「いったいどこに行ったのだ」
「捕鯨船に乗りました」
「ほほう、捕鯨船か。確かに横浜の港にはたくさん寄港している」
「メリケンの捕鯨船で、船長もメリケンのお方でしたが、ロシアの北方のカムチャッカ沖で漁をした後、ハワイで下船しました」
「ハワイ……、維新前にあやしい異人が天竺だと称して人集めをしていたところか」

仙之助編十五の五

嘉右衛門の言葉に仙之助の表情が変わったのを察した粂蔵が答えた。
「仙之助が捕鯨船に乗る手はずを整えてくれたのはヴァン・リードさんでした。人集めをしていたという異人でございます。噂はいろいろありましたが、悪い人ではございません。移民団の総代になったのも手前どもの番頭です。仙之助は少し英語を話しますので、一足先にハワイに行って、番頭と移民たちを助けてほしいと言われたのです」
「ほお、番頭も天竺に行ったのか」
「はい、そうです」
「神風楼さん、あんたらは面白いな」
「はあ、ありがとうございます」
「長州の伊藤さんから密航話を聞いた時のことを思い出すな」
「伊藤さんとは」
「長州出身のお役人じゃ。あれは偉くなるぞ」

しばらく聞き役にまわっていた仙之助が身を乗り出してきた。
「そのお方も密航されたのですか」
「ああ、そうだ。長州藩から派遣された密航留学生だった」
「どちらに行かれたのですか」
「イギリスの商人が手引きをしたと聞いているからイギリスでないのか」
「ロンドンですか」
「そうだな。お前は、まだ異国に興味があるのか」
「はい、私は……、ハワイしか知りません。大層美しい島で、王様にもお目にかかり、得がたい体験をしましたが、あとは鯨を追いかけるばかりでした」
「伊藤さんが欧米に使節団を送る予定があると話していたな」
「使節団……、ですか」

政府の使節団の話に自分と何の関係があるのか、よくわからずに仙之助は戸惑った。
「目端の利く者は何とか一員に加わろうと画策しているようだ。従者になるとか、いろいろ方法はあるのだろう」
「そうですか」
「お前も行きたいか」

嘉右衛門の突然の申し出に仙之助は驚いた。
「えっ、今なんて」
「捕鯨船にたったひとりで乗り込むような勇気のある者は、そうはいまい。お前のような者が同行すれば、面白いことになりそうだな」
「私が、ですか」

嘉右衛門は、鋭い眼光で仙之助を見ると、真面目な顔で言い放った。
「お前は……、異国とつながる事業で成功する相を持っている」

仙之助編十五の六

言葉の意味を掴みかねたような表情をしている仙之助を尻目に嘉右衛門は言った。
「ところで、神風楼さん、店を移転する話は承諾してくれるのだろうね」
「もちろんでございます。今日は店の普請のご相談に参った次第です」
「そうか、そうか。神風楼が先に普請を始めたら、岩亀楼も黙ってはおるまい。普請の相談とはどういうことか」
「はい、このたびの新しい店は西洋館の設えにしたいと考えております。異人館の普請にお詳しいと聞きましたので、腕の良い棟梁など、ご紹介頂けたらと思いまして」
「ほう、異人館の遊郭か。異人相手の商売に本腰を入れるのだな」
「はい。英語の看板も掲げて、世界中から異人が押し寄せる店にしたいと思っています」
「頼もしいな。棟梁と資材のことは任せておけ」
「ありがとうございます」
「仙之助を異国にやるのも、商売のためなのか」
「はい、それもあります。当主が英語を話し、異人の商売の流儀に長けておれば、この先、神風楼の商売をもっと手広くすることも出来ましょう。ですが、本人の気持ちも大きいです。捕鯨船で苦労もしたはずなのに、おかしな奴です」
「おかしいとは思わんぞ。顔に相が出ているのだから、こいつの運命なのだ」
「そのようなお言葉を聞くと、ますますもって仙之助をまた異国にやらねばなりませんね」
「よし、伊藤さんにかけあってみよう」
「政府のお偉い方にそんなお願い事が出来るのでしょうか」

嘉右衛門は、自信満々の表情で言った。
「伊藤さんは、私に借りがあるのだよ」
「どういうことですか」
「鉄道敷設の話を最初に持ち出したのは私だからだ。密航して異国に行ったお方だから、鉄道のことはわかっておられたと思うが、時期尚早と尻込みしていた。ならば、私が資金を工面すると話したのだよ」
「ご自分で鉄道事業を始めようとされたのですか」
「そういうことになりますな」

嘉右衛門は悠然とした表情でにやりと笑った。
「でも、このたびの鉄道敷設は……
「さよう、政府の事業です。私が異人の資本家に資金提供の話を取り付けたことを知って慌てたのだね。私が交渉した異人にかけ合って先に契約を結んだのです」
「でも、それでは……
「そう、私が出し抜かれたことになる。でも、それでいい。だからこそ、彼らは私の言い分を聞くのですよ。そういう力関係にこそ価値がある。借りがあるとはそういうことだよ」
嘉右衛門は、これ以上、面白いことはないという表情で高らかに笑った。

続く

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著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお