- 2021年06月20日更新
仙之助編 四の六
蒲田から横浜までは四里弱(約15km)の道のりであった。
仙太郎が遠出をするのは、日本橋から戻った時以来とのことだったが、六郷の渡しで多摩川を渡る頃までは、足取りも軽く、元気そうだった。
「私の実家もここからそう遠くありません。空豆と梨が名物の田舎でございます」
「今日は道草をする訳にいかないが、いつか行ってみたいな」
「大曽根村なんぞに行く暇がございましたら、異人の国に参りましょう」
「ハハハ、それもそうだな」
仙太郎は朗らかに笑った。
だが、川崎の宿を過ぎた頃から足取りが重くなった。時々立ち止まっては、肩で息をする。仙之助は、かねてから考えていた策を実行することにした。
道ばたの茶屋で仙太郎が休憩していると、道の向こうから大八車を引いた仙之助がやって来た。近所の商家から借り受けたものであった。
「これは何だ?」
「見ての通り、大八車にございます。ヴァン・リードさんが初めて港崎遊郭にやって来た時、これを引いておいででした」
「その話は聞いたことがあるな。Christmas Tree なる植木を載せてきたのだろう」
「これに仙太郎さんを乗せて、ヴァン・リードさんをびっくりさせようと思います。面白い企みでございましょう。横浜に着いたら、このムシロを被ってください」
仙之助は悪戯っ子のような目をして、仙太郎を大八車に乗せた。
「お前は本当に面白い奴だな。人の心の機微を読み、考えもつかない心遣いを思いつく。横浜まで歩くことも出来ない病の身と哀れまれては、私とて肩身が狭い。まして、だからと大八車を用意されても惨めなばかりだ。しかし、お前の企みに乗せられれば、なんだか面白い道中に思えてくる。何というか、ひとつの才なのであろう」
「エッホ、エッホ、エッホ、エッホ」
仙之助は聞いているのかいないのか、籠かきのような声をかけて大八車を引いた。
鶴見の宿から異人襲撃事件のあった生麦を過ぎると、横浜はもう近い。
外国人居留地に入り、ヴァン・リードの事務所がある海岸通りに到着した。左右をきょろきょろしながら進むと、通りにヴァン・リードが立っているのが見えた。
「 Is this a Christmas tree in Summer (これは夏のクリスマスツリーかね)?」
仙之助はムシロをぱっと取った。ヴァン・リードが笑い転げながら言った。
「 Good boy (よくできた)、How are you (元気ですか)?」
「 I am very fine (とても元気です)」
仙太郎が答えると、ヴァン・リードは二人の頭をかわるがわるになでた。仙太郎の無事を安堵すると同時に、彼もまた人の心を読み、人の心を引きつける仙之助の不思議な才にあらためて感心した様子だった。