- 2021年06月27日更新
仙之助編 四の七
横浜の海岸通りにかまえたユージン・ヴァン・リードの事務所は、以前の手狭なものとは様変わりしていた。二階建ての石造りの建物で、海に面してヴェランダが設けてある。周辺の建物と比べてもひときわ立派で真新しかった。
仙之助と仙太郎は、二階の客間に通された。
客間は大きなガラス窓の入った引き戸で籐椅子の並んだヴェランダと仕切られていた。
ヴァン・リードは引き戸を開けた。心地よい潮風が通り抜けていく。
二階のヴェランダから見る横浜港の風景は、埠頭から見る景色と違って見えた。
「 Beautiful (美しいです)」
仙之助はヴァン・リードの顔を見てつぶやいた。
その時、客間のドアをノックする音が聞こえた。
「 Please come in (どうぞお入り)」
ヴァン・リードが答えるとドアがあいた。異人館で働くのはたいてい弁髪姿の中国人なのに、そこに立っていたのは日本人の青年だった。銀のトレイに紅茶を入れたポットとティーカップを三つ載せていた。
面長の整った目鼻立ちをしている。身なりから武士であることが見て取れた。
仙之助と仙太郎を見て相手も驚いている。
次の瞬間、仙之助は、青年の表情に不愉快そうな感情が宿ったのを見逃さなかった。
彼が武士であれば、自分がお茶を給仕する相手が年若い日本人の、それも商人なのは許せないに違いない。
「 Thank you, Jun (ありがとう、ジュン)」
ヴァン・リードにジュンと呼びかけられた青年は無表情のまま、銀のトレイをテーブルにおいた。仙之助は居心地の悪さを感じていた。
「ジュンハ、サムライダガ、アキンドノケイコヲシテイル」
「商人の稽古でございますか」
ヴァン・リードに答えたつもりの返事に青年が反応した。
「さよう。ヴァン・リード殿の商会で異国との取引を学んでおる」
「おもてなし頂き、恐縮至極にございます」
仙太郎が答えた。同じく居心地の悪さを感じていたのだろう。
「ジュンハ、センダイ government ノサムライジャ」
「ガバメントとは……、仙台藩のことでございますか」
「イカニモ」
ヴァン・リードがうなずいた。後に「政府」という訳語が一般的になる「 government」は、幕末のこの頃、しばしば「藩」の訳語として用いられていた。それが外国に対し、幕府や朝廷と相対する藩の立場を実際以上に大きなものに見せていたという説がある。