山口由美
2021年09月26日更新

仙之助編 五の五

開港まもない横浜に来て、山口の姓を名乗った日から、桟橋の先に広がる大海原を渡って異国に行くことをどれほど夢見てきただろうと仙之助は思った。黒船の出入りも頻繁な横浜では、船底に忍び込んで密航を試みる猛者の話もよく聞いた。それでも、我が事と考えなかったのは、養家の商売が優先すると思っていたからだ。しかし、神風楼を異人相手の店にするという粂蔵の野望があるのなら、そのために期待をかけらているのなら、もはや遠慮も何もない。どんなことをしても異国に渡ろうと仙之助は決意した。

外国人居留地も焼けたと聞き、まずはヴァン・リードの消息を訪ねようとしたが、無意識のうちに足が向いたのが仙太郎の蒲田にある実家だった。

横浜の大火の噂を聞いているかもしれない。仙之助は自分の無事をまず伝えなければと思った。そして、異国に行く夢を誰よりも共有すべきは仙太郎だと思った。

病気がちだったヴァン・リードも海を渡り、帰国してからはすっかり元気になった。潮風が健康回復に効果があるという説が本当であれば、何としてでも仙太郎を異国に渡る船に乗せたいと思った。

神奈川宿から異人襲撃のあった生麦村を経て鶴見川にかかる鶴見橋をめざす。

郊外に出ると、横浜の惨状が嘘のようにのどかな風景が続いていた。

鶴見橋を渡り、六郷の渡しについた。仙太郎と横浜に向かった日のことを思い出す。

渡し船は平底の伝馬船だから、大八車を乗せることも出来る。どんな状況でも仙太郎を横浜まで再び連れ帰ろうと、無意識のうちに算段していた。

六郷の渡しを過ぎれば蒲田は近い。

六郷の渡し

梅屋敷のあたりを過ぎ、仙太郎の実家がある集落にさしかかった時のことだった。白い提灯を掲げた野辺送りの葬列が遠くに見えた。

葬列に出会うなんて縁起でもない、と仙之助は思った。
「南無阿弥陀仏」とつぶやいて、仙太郎の実家の漢方医院を足早にめざした。

だが、葬列は、仙之助の後を追いかけるようにこちらに向かってくる。

しばらく歩いて、再び振り返ったが、なおも葬列はまっすぐ仙之助のほうに進んでくる。

仙之助は、振り切るように小走りで、漢方医院の門に辿り着いた。

しばらく肩で息をしてから、門の中に入ろうとした時のことだった。後ろから声をかけられた。
「仙之助さん」

聞き覚えのある声の主は、仙太郎の兄だった。
「横浜では大火があったそうですが、ご無事でいらっしゃいましたか」
「はい、仙太郎さんに無事を知らせるため、参りました」

答えた瞬間、仙太郎の兄が位牌を抱いて弔い装束をまとっていることに気づいた。
「まさか……」と言いかけて喉の奥が詰まって声にならない。

仙太郎の兄は何も言わずに、ただ小さくうなずいた。

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次回更新日 2021年10月3日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

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