- 2021年10月17日更新
仙之助編 五の八
豚屋火事は、外国人居留地にも大きな被害をもたらしていた。
ヴァン・リードの事務所のある海岸通りも、堅牢な石造りの建物があちらこちらで焼け落ちている。一帯に焼け焦げたような匂いが漂い、通りを行き交う異人の姿もまばらだった。
ヴァン・リードの事務所の立派な建物は屋根が焼け落ちて、黒焦げになった石がゴロゴロとあたりに転がっている。柱や窓枠などは焼け残っていたが、廃墟のようだった。
仙之助は、呆然として立ちすくんだ。
にわかに不安な気持ちがわきあがる。だが、ここで待っていれば、ヴァン・リードはきっとやってくるに違いないと信じた。
埠頭の先に続く海だけが以前と同じだった。
仙之助は、焼け残った石の上に腰をおろした。
海岸通りに再び目をやると、大八車を引いてこちらにやってくる人影が見えた。
遠目からでも服装で異人であることがわかる。大八車に載せた荷物が重いのだろう、異人はうつむき加減に下を向いたまま、大八車を引いていた。
仙之助は、懐から仙太郎の遺品として手渡された赤い光る玉を取り出した。
「クリスマスツリー……」
大八車を引く異人の姿に、神風楼にクリスマスツリーを売りに来たヴァン・リードの姿が重なった。そうだ、間違いない。
「ヴァン・リードさん」
仙之助は、大声で叫びながら駆け寄っていった。
ところが、顔を上げた異人はヴァン・リードではなかった。背格好はよく似ているが、見たことのない異人だった。
仙之助は、当惑と失望の表情で言った。
「 I am sorry. (すみません)」
すると異人は、たいして驚いた様子もなく、仙之助に問いかけた。
「 Do you know Mr.Van Reed? (おまえは、ヴァン・リードさんを知っているのか)」
「 Yes,Do you know Mr.Van Reed? 」
オウム返しに仙之助もたずねた。
「 Now We are working together. (今は一緒に働いている)」
「 Is he fine? (彼は無事ですか)」
「 Of course (もちろんだとも)」
異人は、ありふれたジョンというファーストネームを名乗り、ヴァン・リードと古着を売る商売をしていると語った。火事で焼け出された異人たちは、着るものに不自由していた。彼らは被災を免れた異人から服や靴を高額で買い取り、さらなる高値で焼け出された人たちにそれらを売った。商売が成り立ったのは、当時、西洋人の着る洋服や靴は、開港地にしかなかったからだ。横浜に数軒あったテイラーも焼け出されていた。