- 2022年01月30日更新
仙之助編 六の九
「実はお前に頼みたいことがある」
ヴァン・リードは、ダニエルが満足げに昼食を終えるのを見て切り出した。
「グローブホテルのバーで会った時から、何かあると思っていたよ」
「そうか」
「何にもなくて、こんな豪勢なもてなしがあるわけがない」
ダニエルは豪快に笑い、茶屋の娘が入れたお茶を飲み干すと一呼吸ついて言った。
「お前が運命の出会い……と言っただろう。それで、直感的に思った。こいつとは、一晩一緒に酒を飲むだけで終わらないってね。ジョンマンを知っていると言われた時に、それこそ俺は運命を感じたけれど、それを先に言われちまったんだからな」
「七つの海を渡ってきた船乗りには、何でもお見通しだな」
「何ヶ月も大海原と見飽きた船員たちの顔だけ見て、鯨と格闘していれば、たまに上陸した時の人との出会いには敏感になる」
「大海原ばかり見ていると……そうだな、人恋しくなるな」
「そう言えば、お前の出身を聞いていなかったな」
「カリフォルニアのサンフランシスコだ。俺は太平洋しか知らない」
「荒れ狂う海は北や南にたくさんある。だが、途方もない孤独を感じるのは、太平洋かもしれないな。島影を見ない日が延々と続く、あんな大きな海はほかにない。この世の中は海しかないような気にさせられる」
「そうか……、俺は太平洋しか知らないからな」
「海にはそれぞれ表情がある。色も違う。太平洋のど真ん中の吸い込まれるような群青色は他にはない。太平洋は海の深さがとてつもないと聞いたことがある」
「そう言えば、太平洋の深度を測る調査船に乗ったこともあったな。確かにその時に見た海の青は独特だった」
「すっかり話がそれちまったな。頼み事とは何だい」
「ホノルルまで船に乗せていってもらいたい奴がいる」
「密航者か?」
「そういうことになるな」
「サムライか?」
「いや、俺の仕事を手伝っている少年だ」
「日本人か?」
「ああ、でも英語は話せる。お前の尊敬しているジョンマンのことを奴も尊敬していたぞ。最初に英語を勉強したのがジョンマンの書いた教本だったらしい」
「ジョンマンを知る少年か」
「偉いサムライになった本人に会った訳ではないが、憧れている」
「こりゃあ、運命だな。カムチャッカ経由でかまわないのなら引き受けるよ」