山口由美
2022年08月21日更新

仙之助編 九の二

オアフ島の西海岸を南下し、Barbers(床屋)point という不思議な名前の岬で方角を変え、クレマチス号はママラ湾と呼ばれる海域に入った。

まもなくペドロパブロフスク・カムチャツキーに似た湾の入り口にさしかかった。
「ワイ・モミが見えてきたぞ」

ラニが指さして言った。
「ホノルルはこの湾の奥にあるのですか」

双眼鏡を手にしたダニエル船長が答えた。
「こんな浅瀬にうっかり入ったら座礁してしまう。ホノルルはまだ先だ」
「ペドロパブロフスク・カムチャツキーとは違うのですね」
「地形は似ているが、パールハーバーは深さが足りない」
「パールハーバー(真珠湾)?」

ラニが答えた。
「ワイはハワイ語で水、モミは真珠という意味がある」
「真珠の水……。美しい名前ですね。真珠が取れるのですか」
「そうではない。浅瀬のキラキラ輝く海が真珠のように美しいから、俺たちの先祖がそう呼んだのだろう」

一八六七年のワイ・モミことパールハーバーは水色の浅瀬が広がり、岸辺には椰子の木が立ち並ぶ平和な風景が広がっていた。仙之助は楽園の呼び名としてそれを記憶した。

アメリカ政府が石炭の積み出し港として、湾を掘って整備を始めるのが一八八六年。軍港としての使用が始まるのはハワイ王国が終焉した後のことである。

パールハーバー沖を過ぎると、ホノルルは近い。甲板はにわかに慌ただしくなった。

マストに旗が掲げられた。

アメリカの星条旗のようなデザインだが、星が描かれているところに、イギリスのユニオンジャックが鎮座していた。ハワイの国旗だった。

操舵手のジョーイが建国記念日に空砲を撃った銃を取り出し、再び空に向かって一発の空砲を放った。するとまもなく、水先案内の小舟が近づいてきた。

水先案内の船に導かれて港に入る。入港の手順は横浜と同じだった。

前方にホノルル港が見えてきた。

大小さまざまな船が停泊している様子も横浜に似ていた。

岸壁近くの通りに立つ建物も横浜に似ていた。

だが、近づくにつれ、ところどころににょきにょきと生えた椰子の木が見えた。

ホノルル

マカハ渓谷沖でもパールハーバー沖でも見かけた南国特有の木が、目の前に迫る港が横浜ではなく、長く憧れたホノルルであることを示していた。

町並みの後ろには緑の山々がそびえていた。むせかえるような緑と切り立った峰が重なる山の形はカウアイ島やマカハ渓谷沖と似ていた。

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次回更新日 2022年8月28日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお