山口由美
2024年01月07日更新

仙之助編 十四の十二

サンフランシスコの繁栄は、一八四八年にカルフォルニアのサクラメント郊外のコロマで金が発見されたことに端を発する。西部開拓史上最大の出来事、カリフォルニアのゴールドラッシュである。金鉱発見のニュースはたちまち世界に知れ渡った。

発見の翌年、一八四九年に一攫千金を夢見てカリフォルニアに集まった人たちを「フォーティーナイナーズ」と呼ぶ。サンフランシスコの人口は、四八年の千人からわずか一年で二万五千人にまで増えた。

東部のマサチューセッツ州にいたジョン万次郎もゴールドラッシュの噂に興奮した一人だった。日本に帰国するための資金を稼ぐ好機と考えたのだ。一八五〇年、遅ればせのフォーティーナイナーズとしてカリフォルニアにやって来た。

一八五〇年までに、容易に採掘できる金は掘り尽くされた。金の供給量の増大により、金の価格が暴落。まもなく熱に浮かされたブームは終焉する。

だが、ゴールドラッシュによって、未開の地だった西部が注目されたことは歴史を動かした。一八五〇年にカリフォルニアは州となり、アメリカは西海岸のその先にある太平洋に目を向けるようになり、新たな外交政策が始まった。ペリーの黒船来航も、遠因はゴールドラッシュだったことになる。

カリフォルニアの人口増加は、西部と東部を結ぶ交通網の発展にもつながった。一八五五年には後のパナマ運河につながるパナマ地峡鉄道が開業。一八六九年には大陸横断鉄道が開業した。

一八七〇年のサンフランシスコは人口十五万人の都市になっていた。

サンフランシスコの港

ゴールドラッシュの熱を帯びた時代は過去のものだったが、一八五九年に隣接するネバダ州バージニア山脈の東斜面コムストック・ロードという銀鉱山が発見され、再びの興奮がカリフォルニアにももたらされた。

ハワイの移民たちが聞きつけた噂とは、この銀鉱山である。

ゴールドラッシュのフォーティーナイナーズたちのように川で砂金を集めて、それが金になるような一攫千金の話ではなく、単に鉱山労働者が求められていたのだが、カリフォルニアと言えばゴールドラッシュが有名だったから、遠いハワイにいた彼らが銀鉱山の話をその再来と考えたとしても無理はない。

アメリカ本土への日本人移民は、一八六九年に戊辰戦争に敗れた会津藩士たちが、会津藩と商売をしていたジョン・ヘンリー・スネルと共にカリフォルニアに渡った者たちが最初とされる。茶の生産などを行った入植地は、彼らの故郷、会津若松市にちなんで「若松コロニー」と呼ばれた。

ハワイから渡航した元年者たちは、彼らに続くアメリカの日本人移民ということになる。もっとも契約終了していた彼らは、組織だって行動することはなかった。

富三郎がサンフランシスコ行きを決めたのは、意気軒昂な彼らに背中を押されたのと同時に、彼らの行く末を案じたこともあった。

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次回更新日 2024年1月14日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

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