- 2024年03月31日更新
仙之助編 十五の十一
明治政府で岩倉使節団のメンバーの選定が進められていた頃、神風楼に仙之助の待ち望んだ訪問者があった。牧野富三郎宛ての手紙を託した捕鯨船の中国人船員だった。
仙之助が手紙を託してから半年の月日が流れていた。
捕鯨船の航海は、クジラの獲れ高次第で、予定などあってないようなものだ。そもそもハワイの富三郎のもとに手紙が届くかどうかも博打のようなものだった。
幾ばくかの手間賃を渡したとはいえ、中国人船員が律儀にも富三郎からの返信を届けてくれたことに仙之助は小躍りして喜んだ。
時間の経過を物語るように、手紙の入った封筒はだいぶくたびれていたが、確かに富三郎の筆跡で書かれたものだった。
手紙の最後に記されたサンフランシスコに渡るという件を仙之助は何度も見返した。
「サンフランシスコか……」
大きくため息をついて、天を仰ぐような表情をする仙之助にトメが話しかけた。
「富三郎さんからのお手紙ですか」
「ああ、よくぞ太平洋を隔てて、届いたものだよ」
「ご帰国なさるのですか」
「いや」
「では、ハワイに留まられるのですね」
「いや、違う。サンフランシスコに行くそうだ」
「メリケンですか」
「そうだ」
「富三郎さんも行かれたのなら、何としてでもお行きになりたいですよね」
「…………」
「伊藤さんの使節団のお話、何とかならないでしょうかね」
「そりゃあ、連れて行ってもらえるのなら、ありがたい話だが、そんな虫のいい話が通るとは思えないよ。そもそも準備でお忙しいのだろう」
「副使というお偉い立場を任命されて、大変だとおっしゃっておられました。でも、異国には何度も行かれているからなのか、ご自分の準備にはまるで頓着されていなくて、不思議なお方です」
「そんなにお忙しいのに神風楼には今もよくいらっしゃるのか」
「ええ、忙しい時ほど、遊びたくなるとおっしゃって。多少遠くても、顔なじみのいない横浜は気が楽なのだそうです」
「身の回りのお世話をする者はどなたか同行されるのか。まあ、私たちがとやかく言う前にそんな方はいくらもいらっしゃるのだろうが」
「今度お見えになったら、伺ってみましょう」
トメは、不安げな仙之助を励ますように言った。