山口由美
2024年04月21日更新

仙之助編 十六の二

しばらくの沈黙の後、ようやく状況を察した山口林之助は口を開いた。
「かたじけない。全く気づかずに受け取ってしまいました。しかし、奇遇ですね。同じ山口、しかも林之助と……
「仙之助が出会うとは」

二人は同時に笑った。
「洋行のご準備ですか」

すっかり心を許したふうの林之助が答えた。
「明日の黒船でメリケンにまいります」
「ということは、もしや岩倉様の使節団の……
「はい、岩倉様の従者でまいります」
…………

仙之助は、しばし逡巡した後、意を決したように口を開いた。
「それはうらやましい。私は伊藤様の従者に志願致しましたが、叶いませんでした」

素直な物言いに、林之助は警戒を解いたようだった。
「ほう、伊藤様の」
「副使の従者は二人までと決まっているとかで、高島……
「高島米八よねはちさんですね」
「ご存じなのですか」
「同じ従者の身分と言うことで、顔を合わせたことがあります。まだほんの子どもです。私は嘉永四年の生まれですが、仙之助さんは?」
「これは驚いた。私も嘉永四年の生まれで、二十歳になります」
「全くもって奇遇ですね。仙之助さんも同行されるのなら、どんなに心強かったことか。シャツを新調されるとは、私と同じ洋行の旅支度かと思いました」
「使節団の同行は叶いませんでしたが、メリケンには行く所存です」

無意識のうちに口をついて出た言葉に、仙之助は自分でも驚いていた。
「そうですか。このたびの使節団には、各省からのお役人たちなる後発隊もいると聞いております。そちらに加わるのですか」
「いや……。まあ、まだ予定は決まっていないのですが」
「一人でメリケンに行こうなんて、言葉が達者でおられるのですか」
「メリケンの言葉は幼い頃から修練しましたので、不自由はありません」
「それはうらやましい。使節団で渡航した後、彼の地で勉学のため残るよう勧められてもいるのですが、言葉の稽古が追いつかぬうちに出発になってしまいました」
「なあに、異人と話す稽古に励めば、すぐに上達しますよ」
「はい、精進します。メリケンで、また会いたいですね」

林之助は、そう言って仙之助にシャツの包みを渡した。

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次回更新日 2024年4月28日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお