山口由美
2024年05月26日更新

仙之助編 十六の七

祝言の座敷に三三九度の御神酒を持ってあらわれたのは、粂蔵の実子である長女のテツと次女のヒサだった。振り袖姿の二人に仙之助は思わず目を見張った。

養子に入った頃には、ほんの幼子だった二人がいつのまにか年頃の少女に成長していることに驚く。普段着ではしゃいでいる時には、子どもにしか思えない二人だったが、白地に金糸銀糸をあしらった揃いの晴れ着は少女たちを格段に大人びて見せた。

粂蔵はなぜ実の娘が二人もいるのにトメを養女に迎え入れ、養子である仙之助と娶せて跡継ぎにさせたのか。自分が養子に入ったことも、トメが養女に迎え入れられたことも、当たり前のこととして深く考えてこなかったが、あらためて実の娘には、遊郭に関わらせたくないと考えた粂蔵の心の内に複雑な心境になる。

とりわけヒサは利発な少女で、仙之助も気にかけていた。

英語に興味があるらしく、数ヶ月前から居留地で外国人宣教師の女性が営む私塾に通い始めていた。向学心は旺盛だが、性格的には控えめでおとなしい。

ヒサは恥ずかしそうに微笑むと、仙之助の杯に御神酒を注ぎ入れた。

トメの杯にはテツが酒を注いだ。

三回ずつ注がれた御神酒を三回ずつ口にする。

二十歳の仙之助と四歳年上のトメは夫婦の契りを結び、神風楼の跡継ぎとして、列席者にお披露目されたのだった。

儀式が終わると、賑やかな祝宴となった。

挨拶に立った粂蔵は、いつにもまして饒舌だった。

仙之助が岩倉使節団に加わるため、これからメリケンに渡ること、今宵はその送別の宴でもあると、よどみなく話した。高島町に岩亀楼に張り合うような新しい店を建て、粂蔵は勢いついていた。仙之助の洋行を許してくれたのも、それが神風楼をさらに盛り立てる契機になると信じているからなのだろう。

高島町の神風楼

仙之助は、思いがけないことを言い出す粂蔵に慌てた。

副使の伊藤博文に従者となる交渉をしたことは事実であり、岩倉使節団に後発隊がいるのも事実であり、仙之助がメリケンに渡るのも事実だが、使節団に加わるなんて出来るはずもない。大風呂敷を広げられた仙之助は、顔を赤らめてうつむいてしまった。

一方、トメは、粂蔵の挨拶に動じることもなく、悠然と笑っていた。

正真正銘、神風楼を任される立場になったことを言祝ぐような笑顔だった。

粂蔵とトメは、本当の親子のように共鳴するところがあった。

仙之助は、時々それについていけなくなることがある。

トメと粂蔵は同郷であり、開港地の横浜での商売で抜きん出ることについて、近郊の出身である自分よりも、もっと強い思い入れがあるのかもしれない。

仙之助は、宴の主役は自分であるはずなのに、祝宴を他人のことのように俯瞰しているもう一人の自分がいることに気づいていた。


次回更新日 2024年6月2日

著者について

山口由美

山口由美やまぐち・ゆみ

1962年神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。海外旅行とホテルの業界誌紙のフリーランス記者を経て作家活動に入る。主な著書に『アマン伝説 創業者エイドリアンゼッカとリゾート革命』『日本旅館進化論 星野リゾートと挑戦者たち』『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。

この小説について

著者・山口由美からのメッセージ
思えば、物書きになりたいと思った原点が、出自である富士屋ホテルの存在だったかもしれません。高校生の頃、母の従姉妹に当たる作家の曽野綾子に、このテーマは書かないでほしいと懇願した過去を恥ずかしく思い出します。彼女自身の処女作『遠来の客たち』の舞台もまた、富士屋ホテルでした。
そして最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』が生まれたのですが、本当に自分が書きたいものはまだ完成していない、という想いを長年持ってきました。
小説は2000年代前半に何篇か商業誌に発表したことはありますが、久々の挑戦になります。いろいろと熟考しましたが、ノンフィクションノベルというかたちが、最もふさわしいスタイルだと思うに至りました。物語の種は無限にある題材です。長い連載になるかもしれません。
おつきあい頂ければ幸いです。

住まいマガジン びお